齋藤仁志プロフィール
1986年、栃木県生まれ。栃木県立鹿沼高校、筑波大学を卒業。2008年には、北京オリンピックの短距離日本代表選手に選出。2009年、ベルリン世界陸上選手権において200mに出場。2011年の大邱世界陸上選手権では200mで自身初の準決勝進出を果たし、4×100mリレーでも日本のアンカーを務めた。2015年4月より、筑波大学大学院に在籍。
走ることが、3食をしっかり食べるきっかけに
- のっぽくん
- 陸上を本格的にはじめた中学のとき、生活のなかで特に意識していたことはありますか。
- 齋藤さん
- 小学校の頃は家でお菓子を食べながら遊んでばかりだったので、3食きっちり食べていなかったと思うんです。実際、親も「小学校の頃は、何を出しても食べてもらえなかった」とぼやいていましたし。 でも、中学生になると、さすがに育ち盛りになっていきますから、そうとも言っていられない。大嫌いな生の魚でも野菜でも食べざるを得なくなるんです。身体もどんどん大きくなっていきますしね。 一方、その頃は部活の朝練もはじまっていましたから、空きっ腹で動くわけにもいきません。だから、朝飯は絶対にしっかり摂るようになりました。そのことが3食を食べるようになることに繋がったのではないかと思います。
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- のっぽくん
- 高校に入ると、齋藤さんはインターハイなどさらに大きな大会にも出場するようになります。その頃は、すでに陸上選手としての将来を夢に描いていたんでしょうか。
- 齋藤さん
- それが、まったくなかったんです。大学で何を学ぶかというのも決めていなかったくらいで、陸上については「続けられたらいいな」程度でした。実際、私の当時の記録は、県大会で3番目、です。 現実的に考えれば、それを職業にするという選択肢はあり得なかったと思います。ですから、将来の夢としては、「せっかく陸上をやっているんだから、陸上に携われる職業がいい」というようなことを軽く考えていました。ただ、3年生のとき、全国大会に通じる県大会でケガをして敗退してしまったことがあったんです。 そのときに、今までに出したことのないくらいの涙を出して。悔しかったんでしょうね(笑)。「何気なく始めた陸上で、こんなにも涙するのか」と、自分のなかで思うくらいでしたから。そのとき「やっぱり大学に行ってもっと強くなりたい」という気持ちになったのは、今でも覚えています。
インタビュー目次
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