福西崇史プロフィール
1976年9月1日 愛媛県出身。181cm、77kg。 高校時代はFW(フォワード)だったが、卒業後に入団したジュビロ磐田でMF(ミッドフィルダー)にコンバートされた。当時ブラジル代表で活躍していたドゥンガに鍛えられ、ボランチ(守備的ミッドフィルダー)として急成長。2006年ドイツW杯のアジア予選突破に貢献し、本大会でも2試合に先発した。小学生まで体操をやっていたのは有名な話。
「忘れられない2度のW杯出場」
- のっぽくん
- 福西さんは日本代表として、2002年日韓W杯と、2006年ドイツW杯に出場しました。日韓大会のメンバーに選ばれたときは、驚きましたか?
- 福西さん
「2002年は当落線上だったので、発表前は、落ちたら落ちたで仕方ないと思っていました。選ばれたときは、『まさか自分がこうなるとは』という感じ。W杯は夢の夢、いや夢にも出てこなかったですからね」
- のっぽくん
- 日韓大会ではレギュラーではなく、1試合の出場のみ。日本がW杯初勝利をあげたロシア戦の後半41分からでした。
- 福西さん
「出場時間は短かったですけど、あそこで出たから、次のW杯に出たいという気持ちが沸きあがってきた。あそこで出なければ、そういう気持ちにもならなかったかもしれない」
- のっぽくん
- その後ボランチとしてさらに成長し、ドイツ大会ではレギュラーとして大会を迎えることができました。ボランチは稲本潤一選手や小野伸二選手ら実力者がそろう、日本代表で一番の激戦区。ジーコ監督はなぜ、福西さんを選んだのでしょう?
- 福西さん
「誰とパートナーを組んでも、その人に合わせて自分を変え、互いの長所を出せるようにやってきました。攻撃的な選手と組んだら、自分は守備的になればいいし、逆に守備的な人と組めば、攻撃的になる。それが使いやすかったんだと思います」
- のっぽくん
- ドイツ大会の第1試合はオーストラリア戦でした。試合前日は緊張しましたか?
- 福西さん
「緊張してましたね。でも、普段練習でしているプレーしか、試合でできないわけじゃないですか。平常心でプレーできるような気持ちの持って行き方を、Jリーグでも意識していたので、うまく本番を迎えられました」
- のっぽくん
- ボランチは中間管理職のようなポジションだと思います。後も前も気にしないといけない。ドイツ大会では、攻撃陣と守備陣のはざまに立たされましたか?
- 福西さん
「大変でしたよ。ただ、チームにとって何が一番いいのか、それを考えれば自分の気持ちを抑えることができた。2006年のときは自分を抑えましたね。チームのためだから我慢できたし、気持ちを切り替えられた」
- のっぽくん
- オーストラリア戦は日本が先制しながらも、ラスト9分で3点を取られて負けてしまった。いまだに悔やまれるのではないでしょうか?
- 福西さん
「そうですね。ずっと悔しさが残ってますよ。どうしようもなかったですね」
- のっぽくん
- なぜ?
- 福西さん
「全体がバラバラだった。あと、自分自身も試合中、一杯いっぱいだった。守備をして、暑さもあって、疲労もあって、自分のことで精一杯だったと思います」
- のっぽくん
- 1-1に追いつかれた直後、福西さんの非常に惜しいシュートがありました。
- 福西さん
「あれが入っていたら、勝っていたでしょうね。あのシュートのことは、ずっと覚えていますよ。打ったときの感触まで、鮮明に覚えています。どうシュートを打とうかな、内側にまくボールなのか、外をまくボールなのか……と一瞬で考えて。でも、外れてしまった」
- のっぽくん
- 一生忘れられない試合なのではないですか?
- 福西さん
「一生忘れられないでしょうね。これはどうしようもない。自分の経験談として教訓を伝え、日本サッカー界のために力にしなければと思っています」
インタビュー目次
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