青島健太プロフィール
埼玉県の春日部高校から慶応大学へ進学。東芝の実業団チームを経て、1984年のドラフト会議でヤクルト・スワローズに入団。1985 年5月11日の阪神戦(神宮)で、プロ野球史上20人目となる公式戦初打席初本塁打を放った。1989年に引退し、オーストラリアへの留学を経験したあと、スポーツジャーナリストに転向。これまでにNHKの「BSスポーツニュース」やTBS系の「JNNスポーツ&ニュース」のキャスターを務めた。
「両親の教育」
- のっぽくん
- ご両親の教育は厳しかったですか?
- 青島さん
「いや、放任でした(笑)。運動やスポーツをやるように、導かれたことは1度もありませんでしたよ。これは母親にとって自慢話なんですが、『私は自転車に乗れないのよ』って。いいところのお嬢さんは自転車なんて乗らないのよ、って意味らしいんですが、ようは母親は運動には縁がなかった人なんですね。どちらかというと、書道とか文化的なことを好む人だった。父親も大学の専攻が化学なんですよ」
- のっぽくん
- それは意外ですね。
- 青島さん
「父親は何か特定のスポーツに打ち込んでいたわけではないので、僕に何も勧めなかったんです。やりたいなら、やってもいいよって感じでした。積極的容認じゃなく、受動的容認。こんなことをやってみたいと言うと、受け入れて認めてくれる感じです」
- のっぽくん
- 勉強しろとは言われませんでしたか?
- 青島さん
「そっちは結構ありました(笑)。まあ、勉強しろというより、まったく現実味のない話なんですが、子供の頃から『あなたは医者になりなさい』と吹き込まれ続けたんですよ。社会の役に立てる人間になるために、医者を目指せと。教育方針は、それ一本。医者になるための学力を見につけるように、ずっと言われていました」
- のっぽくん
- それが、まさか野球選手になろうとは。
- 青島さん
「そうですね。母親がそういう意味では、1番落胆したんじゃないですかね」
- のっぽくん
- 落胆なんて、そんな。
- 青島さん
「母親はずっと医者になると思っていましたからね。そのために僕は県内の進学校(春日部高校)を選んだんですから。野球をやりたかったらもっと野球の強い高校に行っていたし、そもそも両親とは、高校生になったら野球部に入らない約束だったんです(笑)」
インタビュー目次
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