本橋麻理プロフィール
1986年6月10日生まれ。北海道北見市(旧常呂町)出身。 12歳のときにカーリングを始め、15歳のときにジュニア年代の全国大会で優勝。17歳で日本代表入りを果たした。『チーム青森』のメンバーとして、2006年トリノ五輪、2010年バンクーバー五輪に連続出場して、カーリングブームの火付け役に。今年8月、『チーム青森』を脱退し、地元(旧常呂町)に新チーム『ロコ・ソラーレ』を立ち上げた。NTTラーニングシステム株式会社所属。
「高校時代」
- のっぽくん
- 本橋さんは15歳でカーリングのジュニア年代の世界大会に出場し、17歳で日本代表に選ばれました。勉強との両立は大変だったんじゃないですか?
- 本橋選手
「高校とカーリングの両立は本当に大変だったです。ただ、担任の先生が、ラグビーで日本代表を目指していたような熱血漢で、『こんなことで泣き言を言うな!』と厳しく接してくれたので、勉強からも逃げずにすみました」
- のっぽくん
- 贅実際にはどれくらい大変だったんですか?
- 本橋選手
「私は公立高校に通っていたので、カーリングの試合で海外に遠征に行っても、公欠扱いにはなりませんでした。その結果、出席数だけでいったら、留年ぎりぎりになったしまったんです。けれど、担任の先生が校長先生に直談判してくれて、勉強と競技、両方の成績を落とさなければ、進級させてもらえるということになった。それを校長室で、担任の先生とともに約束したんです。だから、遠征に行くときは、スーツケースの4分の1くらいが教科書でしたね(笑)。帰国の翌日にテストがあるときには、海外からの帰りの飛行機の中で、教科書とノートを広げて勉強していました」
- のっぽくん
- 飛行機の中で勉強とは、相当しんどいですね。
- 本橋選手
「まあ、機内では結構、暇なので(笑)。まわりの先輩からは、『酔わないの?』って言われましたけど。海外に行っても、1日中練習したあとに、夜は目をこすりながら机に向かっていました」
- のっぽくん
- 先生との約束は大きかったんですね。
- 本橋選手
「大きかったですね。絶対に裏切れないって思っていました。あと、先生が最後の最後まで褒めてくれなかったのも、エネルギーになりました」
- のっぽくん
- どういうことですか?
- 本橋選手
「勉強についても、カーリングについても、足りない、まだ足りない、って常に要求し続けてくれたんです。でも、最後の卒業式に呼ばれて、『お前は本当によくがんばった』って言ってくれて。ああ、やっと卒業できるんだって思いましたね(笑)」
- のっぽくん
- もし勉強で逃げていたら、他のことでも逃げるクセがついていたかもしれないですね。
- 本橋選手
「そうですね。あそこで手を抜くことを、覚えなくてよかったなと思います。スポーツだけやっていればいいっていう考えが芽生えそうになったときに、先生はストップをかけてくれた。チヤホヤする人もいるなか、私の将来のことを考えてストッパーになってくれたんです」
インタビュー目次
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