稲葉洸太郎プロフィール
1982年12月22日生まれ。フットサル選手。 小・中・高と名門・暁星サッカー部でプレー。高3のときに、サッカー部の仲間とフットサルのチームを設立。その後、フットサル界の強豪・ファイアーフォックスなどを経て、2007年にバルドラール浦安へ移籍。2008年には日本代表として、フットサルW杯に出場した。その華麗なプレースタイルと甘いルックスから、現在のFリーグ(フットサルのトップリーグ)で1、2を争う人気選手。
「日本代表としてプレーする重み」
- のっぽくん
- 高3でサッカー部を引退したあとに、フットサルを始めたことを前回伺いました。卒業後は具体的にはどうやって活動をされていたんですか?
- 稲葉さん
「大学(武蔵大学経済学部)に通いながら、サークルには入らず、暁星サッカー部のOBで作ったチームでフットサルをしていました。これと平行して、渋谷ユナイテッドというチームに助っ人で参加したりして。そうこうしているうちにステップアップして、現在のバルドラール浦安にいたったんです」
- のっぽくん
- フットサルのプロになるなんて想像つきましたか?
- 稲葉さん
「いや、全く想像していませんでした。フットサルのリーグができることすら、想像していませんでした(注:Fリーグは2007年に新設された)。プレーしているうちに、世間でフットサルが盛り上がってきて、いろいろな可能性が出てくるかも、と少しずつ感じたというのが正直なところです」
- のっぽくん
- 日本代表に実際選ばれてどんなお気持ちでしたか?
- 稲葉さん
「重かったですね。ずっしり肩に乗っかった感じ(笑)。予選も勝たなければいけないし、君が代を歌っているときはものすごくプレッシャーを感じました。すごいところにいるな、しっかりやらなきゃ、と」
- のっぽくん
- 2008年にはブラジルで開催されたフットサルのW杯に、日本代表として出場しました。
しかし、初戦のブラジル戦で退場になってしまいましたね……。 - 稲葉さん
「人生初の退場でした。それがまさかW杯の舞台で出るとは……。この試合は大会の開幕戦で、さらに開催国のブラジルとの対戦。あの雰囲気は異常でした。完全にアウェーでした」
- のっぽくん
- ブラジル代表は強かったですか?
(注:日本は1対12でブラジルに負けた) - 稲葉さん
「差を感じましたね。全員がいろんなことできる。日本の場合、攻撃が得意だけど守備はだめ、守備は得意だけど攻撃はだめ、という選手がいっぱいいる。それがブラジルの場合、全員がパスも、シュートも、ドリブルもうまいんです」
- のっぽくん
- カルチャーショックを受けたんですか?
- 稲葉さん
「試合の途中からですね。最初は、まだ行けるんじゃないかと思って……。だんだん点差が開いてきて、やばいなと」
- のっぽくん
- しかし、稲葉選手は、退場から戻った試合(対キューバ)で2点も決めました。
- 稲葉さん
「思うところがありましたからね。悔しかったし、W杯という大舞台で点も取りたかった」
- のっぽくん
- この代表メンバーの中に暁星の同級生もいましたよね?
- 稲葉さん
「1人いました。名古屋オーシャンズのキャプテンの北原亘です。小中高とずっといっしょにやってきた大親友です。家族より長くいるんじゃないかな(笑)。その同級生が、代表でともにプレーしているんだから、不思議ですよね」
インタビュー目次
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