中田久美
1965年 東京都生まれ 1979年 全日本女子バレー元監督の山田重雄氏が開設した「山田バレー塾」に合格 1980年 全日本選抜デビュー 1984年 ロサンゼルスオリンピック出場 銅メダルを獲得 1988年 ソウルオリンピック出場 第4位 1992年 バルセロナオリンピック出場 第5位 1992年 11月現役引退 その後、後輩の指導や講演など、様々な分野で活躍中!
両親の教育方針は“どんどん遊ばせたい”
「小学生の頃の自分を一言で表現すると“活発”。友達も多かったし、学校から帰ってきても、かばんを置いて遊びに行くという生活で、部屋に閉じこもる方ではなかったです。」と話す中田久美さん。
一人っ子だった彼女は、両親が共働きという環境もあり、毎日遅くまで遊んでいたという。
「確かに家にいても寂しいという思いもありました。でも小さな頃から体を動かすことが好きだったので、母が家にいたとしても遊びまわっていたと思います」
小学生の頃は夕飯の時間まで帰らなかったという彼女を、ご両親はどのように思っていたのだろうか。
「これだけ遊ばせてもらいながら、両親は“まだ遊び足りないのでは”と思っていたようです。遊びながら、その中で自分の好きなことを見つけて欲しいと思っていたみたいです。逆に勉強しろと言われたことは一度もありませんでした。」
“自立”を促す環境
「両親は自由に遊ばせてくれる代わりに“自分のやることには責任を持つこと”“他人に迷惑をかけないこと”だけは厳しく言われました。約束を守らないと当然怒られましたね。例えば、門限を守らないとか。」
その門限というのも、両親が決めたものではなく、自分で「今日は何時に帰る」と言った時間だという。
「もうひとつ言われていたのは礼儀に関することでした。食事中にご飯をおかわりするときは、ちゃんと両手で器をもって言いなさいとか。何かをやってもらったら必ず“ありがとう”と言いなさいとか」
彼女が置かれていた環境は、“自立した生活”の訓練といえるものだ。中田さんは、集団生活に欠かせない要素を中学生の頃までに身に付けていた。彼女が小さい頃から自分で考えて行動していたというエピソードがある。
「休日に部屋でおもちゃを広げて遊んでいるとき、両親が出かける準備をしていると、おもちゃを自分から片付けて、出かける支度を勝手に始めていたそうです。」
周囲の変化をみて、その場ですぐに対応する。これはバレーボールのセッターと同じ行動だ。彼女がセッターとして成功した影には、こういった子供時代の生活が、少なからず影響しているのだろう。
アスリートの食生活
小学校の頃から好き嫌いはあまりなかったとうい中田さんだが、食生活はどのようなものだったのだろうか。
「母親も働いていて忙しかったですから、手のかからないお鍋などが多かったです。お鍋なら、お肉も野菜もしっかり食べられますから、バランスは良かったと思いますよ。」
食事のときはしっかり食べて、それ以外の間食などはしないという理想的な食生活を送っていた中田さん。
「小さい頃にバランスの取れた食生活をすることが、アスリートにとって非常に重要だと思います。最近は成長期にお菓子を食べ過ぎたり、好き嫌いの多い人が増えています。そういった選手はどうしても弱く、怪我が多いんです。」
実際、中田さんは、20歳過ぎまで大きな怪我は一度だけだという。過酷な練習の中、怪我が少なくて済んだのは、子供の頃からの食生活がしっかりしていたからに他ならない。
インタビュー目次
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