宮里藍プロフィール
勉強一番、ゴルフ二番
宮里藍の原点をと、沖縄県東村を取材してみて、強く感じたのは、彼女が歩んできた人生は、ゴルフだけではないということ。
「藍ちゃんは、小学、中学とバスケをやっていて、それに熱中していたし、学校行事は普通に行っていたから、別にゴルフだけをやっていたということではないと思う。というか、ゴルフだけという印象がない。だから、浮いた存在でもない」小学校、中学校時代の同級生がこう話してくれた。
1クラス16人という小さな学校に通っていた宮里藍。取材する前は小さいときからゴルフ漬けの毎日という印象を持っていたが……。
「ゴルフをやっているのは、知っていましたが、それはそれ。部活動も一生懸命やっていたし、勉強もすごくできた。運動会でも学芸会でもいつもクラスの代表的存在。でも、優等生タイプではなく、友達がギャグを言うと、あの目を真ん丸にさせて、いつも鋭い突っ込みを入れてくる。冗談も好きだし、友達付き合いもいい」
そこには、父親・優の「勉強一番、ゴルフ二番」という、しっかりした考えがあった。
「優等生で成績はオール5。体育、技術も5、総合学習と言って、三線(三味線)を弾いたり、漁法や魚のさばき方の授業でも5でした。元の担任が話すのだから間違いありません」
とは、中学3年のときの担任教諭。
当時、ジュニアゴルフ界では頭角を現していた宮里藍だが、それをひけらかすこともなかったという。
「中学時代は、ゴルフをやっていることなど忘れさせるくらい、学校に専念していました。受験を控えた中3は、部活動がなくなりますが、駅伝大会や運動会や文化祭もある。その都度、彼女は精いっぱい、力を注ぐのです。
あるときは、バスケ部の練習のあとに、駅伝の練習をする。それで家に帰るのが19時過ぎ。それから車で30分ほどの名護市まで通って、23時までゴルフの練習をしていた。その上に、家での勉強時間を書き込む『家庭学習帳』を見ると、毎日、予習、復習をしている。そして、翌朝はバスケ部の朝練にも出ている。それで授業中に寝ているのならわかりますが、ニコニコと元気。どうして、こんなに自分を追込むのかな思ったことがあります」
中学時代に宮里が所属していたバスケ部の顧問もこう語る。
「バスケ部の練習の後に、ゴルフのレッスンをしていることは知っていました。その後も勉強をしていたということも。でも、その上で朝練をしたいと言い出したのは、彼女から。毎朝7時の朝練には、必ず参加していました。そして、1人で黙々と、シュートの練習をしていました。
バスケットでも、勉強でも同じ、その場、その場に対して、手を抜かず、真剣で、全力投球をするのが藍ちゃんです。没頭して、頑張らずにいられないのでしょう」
宮里の父親・優は、かつてインタビューでこのように語っていた。
『ぼく自身、子供たちにはゴルフだけのゴルフバカになってほしくありませんでしたから。いろいろ経験して、幅のある人間になってもらいたいと願っていました』(女性セブン03年11月13日号)
学業、部活動、さらにゴルフと、過酷な日々を過ごしていた宮里藍だが、そこには悲壮感などはない。それらの困難を、明るく乗り越えてきたという感じがする。
「やはり精神力が違うというか、彼女にとって、目指している目標が、かなり高かったから、人からみたら辛い生活でも、普通にやっていけるんだ、と思ったことがあります」(中3の担任)
宮里藍、ライバルの横峯さくら、さらには浅田真央。若くして世界の舞台で活躍するアスリートの続出を背景に、英才教育が盛んだ。
宮里藍が歩んできた道には、子供を将来スポーツ選手に育てたいと願う親にとって、とても大事なことが秘められている気がする。
インタビュー目次
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