TOPページ » プロフェッショナルに聞く!生きる力の育て方! » 長野五輪銅メダリスト 岡崎朋美選手の父・元さん 母・イセノさん
岡崎朋美プロフィール
1971年 北海道斜里郡清里町の酪農一家にて生まれる 1980年 スケートを始める 1994年 リレハンメルオリンピック出場 1998年 長野オリンピック出場 銅メダル獲得 2002年 ソルトレイクシティオリンピック出場 2006年 トリノオリンピック出場 マイペースがモットー。常に限界を考えず、5度目のオリンピック出場を目指して、現在もトレーニングに励んでいる。
銅メダリストのご両親に聞く! ~アスリートの育て方~
さくらの花が散り始めた4月初旬。東京から空路、北海道・女満別空港に降り立った。そこはいまだ春、遠き場所─。冷たい北の風が、マフラーを忘れた首筋に容赦なく吹きつけてきた。気温3度。空港の道路わきには、雪がうず高く積まれている。それでも、まっすぐに伸びる北の大地を車で走ると、春の息吹が、わずかながら聞こえてくる。融けだした雪の間から顔をだした黒い土、柔らかい日差し…。
岡崎朋美さんの実家は、女満別空港から車で1時間弱、知床半島のつけ根に位置する清里町にある。遠くに望んでいた秀峰・斜里岳(1545m)が、車窓いっぱいに見えてきたら、もうそろそろ。斜里岳のすそ野に広がる農業地帯を抜けると、ちらほらと酪農農家が見えてくる。そのなかでも一際、広大な敷地を持つ牧場が岡崎朋美さんの実家である。
澄んだ空気が気持ちいい。雪深い牧場にはエゾシカやキタキツネの足跡が点々と、針葉樹の林まで続いている。隣の家まで200m以上も離れている。こんな大自然が間近というよりも、大自然の真ん中で、岡崎朋美さんは育った。
「まあ、こんな遠くまで、わざわざ」
“朋美スマイル”を彷彿させる笑顔で出迎えてくれたのは、母・イセノさん。 岡崎家では、現在160頭もの乳牛を飼っている大規模な牧場を営んでいる。早朝と夕方の搾乳、牛の世話と多忙の日々を送っている。その合間を縫って取材を受けてくれた。
自宅に一歩入ると、そこは、まるで岡崎朋美記念館。ガラスケースに並べられたトロフィー、メダル。そして写真、賞状が部屋中に貼られていた。
「教育方針だなんて。もう何もないんですよ。いつも、ほったらかしでしたから。ね、お父さん」と、脇にいる父・元さんにゆだねる。
「そうだな。もう、勝手に育っていったからな・・・・・」
そんな一言から、取材は始まった。
- *3兄弟の仲は?
- 「お姉ちゃんやお兄ちゃんとは年が離れているから、みんな朋には優しかったな。だから、いつも朋はニコニコしていましたよ。私たちは、いろいろ仕事があって大変だったけど、家に帰ると、いつも笑って出迎えてくれたな。たしかに家には笑顔だけは、いっぱいだったな」(父・元さん)
- *好きな飲み物は?
- 「岡崎家の冷蔵庫には、大きなペットボトルに入れられた牛乳が常備されていた。岡崎選手は、それを水代わりに飲んでいたという。しかも、この牛乳、自宅のとなりにある牛舎で朝、搾られたばかり。これを1度、熱をとおし、冷蔵庫にいれておくそうだ」
- *好きな料理は?
- 「作っておいておけば、子供たちが温め直して、食べられるから、カレーはよく作りましたね。家の畑でとれたジャガイモやニンジンをたくさんいれて、あとはお肉。普通のカレーですよ。ただお肉が好きだったから、豚肉、牛肉、なんでもいいからお肉を多くしてね」(母・イセノさん)
- *スケートを続けてこれた秘訣は?
- 「普段から、顔には一切、出さないけど、本人は相当の負けず嫌い。人に負けると、心のなかが沸々としている。クラスの駆けっこでさえ負けると、悔しさを表に出さずに、グーッと我慢するタイプですからね。小、中と、いくら頑張っても、同じ少年団には速い選手がいた。それが、スケートを続けさせたんでしょう」(父・元さん)
インタビュー目次
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