池田久美子プロフィール
1981年 山形県生まれ 1993年 酒田第三中学校に入学。 中学1年生から全日本中学選手権の走り幅跳びで3連覇を果たす。 1996年 日本大学山形高校に入学。そのご仙台育英高校に転校。 1999年 福島大学に入学。 2001年 世界ジュニア選手権の走り幅跳びで第3位に輝く。 2003年 スズキ株式会社に入社。陸上競技部に所属する。 2006年 国際グランプリ陸上大阪大会2006で6m86cmという日本記録を樹立。 2008年の夏に開かれる北京オリンピックでの活躍が期待されている。
池田さんの原点は「路地」
原点は路地にある。
池田さんの実家はお蕎麦屋だった。その傍らに全長が30メートルほどの路地があった。幅は4メートル程度だ。池田さんのお父さんの実さんが、路地の両サイドにあるコンクリートの壁に杭を打ちつけて、そこにゴムを引っかけてくれた。即席のハードルコースの完成だ。そのゴムを跳ぶという「遊び」から全ては始まった。
「お父さんとお母さんはお店が忙しくてかまってくれる時間がなかったので、弟と二人で『遊んでろ』と言われて。自由奔放にやっていました」
両親が共働きというのは今では珍しくない。子供にかまう時間がないのならば、ないなりに工夫する。子供を持ちながらも共働きをしている父親や母親にとって、とても参考になるような、実さんのそんな知恵が見えてくる。
「とりあえず今の陸上競技でいうハードルの跳びかたは教えられずに、たぶん5メートル間隔ぐらいにゴムを張って、『跳んで、走って、遊んでみなさい』ってお父さんに言われて。最初は弟と私が交互にやっていたんですけど、そのうち競争しよう!っていう話になって。で、どんどん自分たちで遊び方を見いだしていきましたね」
これはスポーツに限らないことかもしれないが、頭ごなしに子供に何かをやらせようとしても、意外とうまくいかないことがある。子供の反発を招いてしまうのだ。池田さんの父方のお祖父さんはかつてハードルの選手、お父さんの実さんはかつて走り幅跳びの選手だった。ひょっとしたら実さんの頭の中に、将来は娘もハードルや走り幅跳びの選手になってくれればいい、という考えがあったのかもしれない。だが、まずは遊びを通して娘にとって陸上競技を身近なものにした。はたして、娘はハードル競走に似た「遊び」にのめりこんでいった。そして……。
「『お前ら二人、バネがいいなぁ。じゃあ次はハードルをやってみるか』って言われて。ちゃんとした跳び方を教えてくれました」
こうして、池田さんは陸上競技者として歩みを進めていくことになった。
これは意外と知られていないかもしれないが、走り幅跳びで活躍する池田さんは、現在も並行してハードルに取り組んでいて、大会にも参加している。
ハードルの選手としてキャリアをスタートさせた池田さんに、ほどなくして衝撃を与える機会が訪れる。
インタビュー目次
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