塚原直也プロフィール
1977年生まれ。メキシコ・ミュンヘン・モントリオールの3つの大会の体操競技で計5つの金メダルを獲得した光男さんを父に、メキシコオリンピックで女子の体操競技日本代表選手であった千恵子さんを母に持つ。 小学5年生の時に本格的に体操を始め、高校2年生からインターハイで2連覇を達成。
両親からのプレッシャーは無く、「自分がやりたくてやっていた」
「まだ技術的にもそんなに上手いほうではなかった」と直也さんは振り返る。当時は、筋力を鍛えるようなトレーニングが主だった。「体操の場合はそれほど単純ではないので」とは本人の談だが、例えば腕立てふせをする際にも、様々な筋肉を使って何種類もの腕立てふせをしなければならなかった。
また、目の下のあたりに血豆が出来たこともあった。バーベルを持ち上げる際に顔に力が入って、目の下にある「毛細血管がつぶれるような感じ」になるという。その結果、粒のような血豆がいくつも出来てしまうのだ。
このような話を聞くと、一緒に習っていた人たちが辞めていくのもわかる気がする。では、直也さんがそのような練習に耐えられたのは何故だったのか。その理由を問うと、こんな答えが返ってきた。
「とりあえず与えられた課題をこなさなきゃ、という感じで……。まだ子供だったから、それほど考える力もなかったですし。一つのことをやっていると周りが見えなくなる性格ですから、性格的にも合っていた、というか……」
いくらか謙遜も混じっているだろうが、これは直也さんの本音である。ただ、直也さんは体操を辞めようとしてご両親に止められた経験などない、ということだ。それどころかむしろ、ご両親から強くプレッシャーを受けることは「なかった」そうだ。直也さん自身もこう振り返る。
「自分がやりたくてやっていたので」
偶然か必然かの議論はさておき、ここで直也さんが金メダリストになる過程に、一つの、確かな筋が通っていることがわかる。つまりはこういうことだ。
体操以外のスポーツに触れる機会をご両親が与えてくれた、というのがまず前提としてある。これは、直也さん自身がいくつかあるスポーツの中から自らの意志で体操を選び取った、と言い換えてもいい。
さらに、自らが選んだ体操という競技で過酷なトレーニングを強制されることもなかった。その中で体操に競技に打ち込んだからこそ、大舞台で立派な演技をして金メダルをとることが出来たのだろう。
直也さんは結局、呉コーチの指導を4年ほど受けた。いわば、体操というスポーツをやる上での礎を築いた時期だ。では、その時期に大切なものは何なのであろうか。
インタビュー目次
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