岡崎朋美プロフィール
1971年 北海道斜里郡清里町の酪農一家にて生まれる 1980年 スケートを始める 1994年 リレハンメルオリンピック出場 1998年 長野オリンピック出場 銅メダル獲得 2002年 ソルトレイクシティオリンピック出場 2006年 トリノオリンピック出場 マイペースがモットー。常に限界を考えず、5度目のオリンピック出場を目指して、現在もトレーニングに励んでいる。
素直で、要領のいい健康優良児
「睡眠は8時間は欲しい!眠りは浅いほうだから、何も考えないで眠りにつこうと心がけています」
岡崎朋美選手は、かつてこう答えている。
朝が早い酪農家。当然、岡崎家の夜は早い。
「晩ご飯を食べたら、あとはやることないから、子供たちは寝るだけ。勉強などないし、テレビだって見てなかったな。
私たちは牛の世話があったから、朋の面倒は、8歳上の姉が全部みてくれました。お風呂に入れて、お姉ちゃんが寝るといったら、一緒に布団に潜っていたから、私たちはあんまり心配していませんでした」
と、語るのは、父・元さん。
「そうそう、お姉ちゃんがしっかりしていたからね。朋も小学校1年から、自分でパジャマを着替えていたけど、なんでも、お姉ちゃんが朋本人にやらせていたから、外で働いていても安心でした。
そうでなくても、朋は、昼間は、外で泥だらけになって遊んだり、私たちの仕事について回ったりで、ヘトヘトになっていたから夜はぐっすり。食事、運動、睡眠だけ考えれば、健康優良児ですよね。
ただ朝が苦手。朝寝坊だったから、よく学校に遅刻しそうになって、冬場の凍てついた道を、何度も、私が運転して、送って行きました」
と、イセノさんも続ける。
少女時代の岡崎選手について、元さんは、こう語る。
「朋美は一を聞いて十を知るような、要領のいい子でしたね。私たち夫婦が、朝早くから夜まで家にいないから、自立するのも早かったと思います。
だから、私は、朋だけは、怒ったことがないんです。
姉貴と兄貴には、1度、わがままを言っていたことがあり、ぶっ叩いたことがあるんですよね。普段、私は、めったなことでは怒らないから、それを見た朋は、びっくりしたんじゃないですかね。それででしょうか、何をしてはいけないのか、自分で判断できる子供に成長した気がします」
イセノさんもつけ足す。
「町に行っても、アレ欲しい、コレ欲しいと、騒ぐ子じゃなかったですね。欲しいものがあるときは、私の目をジッとみるんですよ。それでダメかどうか、わかるようです。親が忙しく働いているから、朋もわかるんだろうなと思っていました」
そんな岡崎選手が、小学校4年生のとき、スケートと出会った。
インタビュー目次
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