「お菓子を誰かにあげて喜んでもらえたらそれで嬉しいんです。単純に誰かのためになることが好きで…。手紙は、主に今は高校時代の友人と文通をしているんですが、可愛いレターセットで文字を綴って相手が楽しんでくれたらいいなって思っています」。
かたやダンスサークルに所属するアクティブな一面も持つ。高校入学時に「目指す大学が無い場合にとりあえず志望校は東大と書く」という文化のなかで“東大”と書き、そのまま自然と目指すようになり、結果東大しか受験せず一発合格。その裏には周りへの感謝の気持ちを忘れず努力し続ける努力家の一面と、曲がったことが大嫌いで弱い物を助けたいという強い正義感に裏打ちさせた意思の強さがあった。
勉強は特に塾などは行かずとも常に上位。習い事はピアノを5歳から高校一年生まで続けたのと、水泳を 小学校1年生から4年生まで習っていた程度。ほとんどの時間を公園などで友達とのびのびと自由に遊ぶ子どもだった。ただし、根っから真面目な性分で宿題と次の日の学校の準備は欠かさなかった。親に言われずとも必ず行っていたという。 学校の勉強は新しいことがどんどん分かるようになるのが嬉しくて授業も好きで学校に通うこと自体が楽しかった。両親から「勉強しなさい」と言われたことは一度もなく、逆に頑張りすぎて「早く寝なさい」と注意されることがたびたびあったほど。 中学時代に経験した吹奏楽部の部長として上手く部をまとめられなかった経験とアフリカの子ども達の現状を伝えるビデオを見たことが現在の自分を作っていると語る。 「失敗体験はありますか?と聞かれた時に必ず答えるのが中学時代、部長として部をまとめられず不完全燃焼のまま卒業してしまったという経験です」という徳川さん。自分の力不足から同じ部のみんなのやる気を高めることができず、最後の大会に出場できなかったことが今でもとても心残りだという。
「私がリーダーに向いていなかったということがよくわかり、自分に向いているのは調整役なんだな…、ということを知れたことはとてもいい経験だったと思いますが、自分がもっとみんなのことを理解できていれば、もっとみんな部活に打ち込むことができたんじゃないかな…って、今でも思い返して責任を感じることがあります」。
もっとこうすればよかったと、悩んでいたこともあったが、今ではあの経験があったからこそ、現在の自分があるとも思えるようになったという。 もう一つのターニングポイントは中学一年生の時に学校の授業で見たアフリカの子どもの現状を伝えるビデオ。貧困と飢餓にあえぐ子どもを見た時に、衝撃を覚えたという。 「日本人は豊かで食に困ることもなく、幸せに暮らしているのにこんな不平等があっていいの?って、怒りがわいてきました。日本人には困っている世界中の人たちを支援する義務がある。とその時強く感じたんです」真面目で正義感があり、経験を顧みて己を分析する。その上で、自分がベストを尽くせる場所はどこにあるのかを認識し、そこに向かって努力する。そんな徳川さんの素地はこの頃すでに出来上がっていたのかもしれない。
「高校は優しい人が多かったです。全力で物事に取り組む人が多かったようにも思います。とにかくみんな自分たちのやりたいことに一生懸命で勉強だけでなく、部活動などにも力を入れていて本当に楽しかった!素晴らしい高校生活を送れたと思います」。多くの友人、先輩、後輩に恵まれ充実した高校生活を送った。
しかしそれは両親を心配させることにもなったという。
「すべてに手を抜きたくなくて、寝る時間を削ることにもなったりして…親からは早く寝なさいと言われたこともありました。私が頑張りすぎることを心配してくれていたんです」。 高校入学時に志望校は東大と書いてから、毎日、部活が終わる18時半頃から塾へ行き、1~3時間程度勉強した。塾は通信制の学習塾だったがDVDだけを見るという授業形態が合わず、ほとんど自習する場所として使っていたという。
高校三年生の6月まで部活を頑張り完全燃焼した後、本格的な受験勉強をスタート。毎日部活にあてていた時間はそのまま受験勉強の時間にスライドした。授業が終わるとそのまま学校の図書室に残り勉強。周りの友人たちもみんなそこで勉強していて刺激になったことと、先生がみんな協力してくれて分からないところがあるとすぐに教えてくれたことが良かったという。
「先生から“受験は団体戦だ”と言われました。ひとりで頑張るんじゃない。みんなで頑張るんだ、と。本当にそう思います。みんながいなかったらあんなに頑張ることはできなかったと思います」。
学校が18時半に閉まるとそこから塾に行き、21:30頃までまた自主勉強。家に帰って24時頃寝て翌日は6時に起き7:30には登校しまた図書室で授業が始まるまで勉強した。
「不思議と集中力が途切れることや勉強が嫌になることはありませんでした。それよりも私をこんなにも多くの人が支えてくれている、と思うと勉強しなきゃ!とさらに力が入りました」。
そんな状態は2月まで続き、東大のみを受験し見事現役合格することとなる。
- 部活が楽しくてしょうがない!18時半まで部活に打ち込み、家に帰ってきてから予習復習を1~2時間程度毎日行った。
- 相変わらずの部活メインの生活。夏に東大のオープンキャンパスに上京し本格的に東大受験を決めた。
- 6月に英語部で県大会1位を獲得し有終の美を飾った後は、本格的に受験勉強スタート。毎日放課後16時頃から22時頃まで勉強した。朝は7時には登校して図書室で授業が始まるまで自習。
受験前日はあまりよく眠れなかった。
「ここまでやったんだから最後は自分を信じて臨むしかないと思い、何とか落ち着いているつもりだったので、(受験前日も)そんなにドキドキしないかな、と思っていたんです。でも、いざ受験の前の日になってみると思っていた以上に緊張していたみたいで、ベッドに入っても2、3時まで寝られませんでした(笑)」。
合格発表はインターネットで。13時に発表だからと自宅のパソコンの前でスタンバイしていると一本の電話が。先生からの「もう発表されてるよ!」という報告で拍子抜けしたそう。「フライングで13時前に発表になっていたみたいなんです(笑)」。
その時、パートに出ていたお母さんは不在で、自宅には同居しているおばあちゃんとふたりだけ。
「(先生の報告に)「えっ!」と驚いて、どきどきしながら急いで一人でパソコンで検索し、自分の番号を見つけたとき、とても嬉しくて、そのとき自宅にいた祖母と抱き合って、泣いて喜んだのを覚えています。」
両親にも電話で報告。普段寡黙であまり感情を現さないお父さんが電話の向こうで言葉につまっているのが分かって、その時初めて自分もグッときた。お母さんに「今までで一番嬉しいでしょう」と言われて、冷静に考えた時に、それはそうではないなと思ったという。
「高校の伝統で3年生の夏に文化祭を行うのですが、それがクラス対抗戦になっていて競い合うんです。自分たちで脚本から大道具、小道具、衣裳などすべて作ります。その文化祭までの一週間、みんな勉強はほとんどせず、準備に打ち込むんです。私は主演女優をやらせていただいたのですが、私たちのクラスが大衆賞に輝いたんです!本当に感動して嬉しくって…あれが今まで生きてきた中で一番嬉しかったことだと今でも思います」。
あの時期があったからこそ大変な受験勉強を乗り越えることができた。文化祭は母校の素晴らしい慣習だと思う、と語ってくれた。