寺本進
広島県広島市出身 1976年1月28日生まれ 身長 176cm 趣味 音楽鑑賞 ビリヤード
本場タイのプロリーグに単身乗り込み活躍しているプロ・セパタクロー選手であり、日本代表選手でもある寺本さん。スポーツ大好き少年が、そのまま大人になったような雰囲気を持つ寺本さんに、これまでどのように成長し、またどのような考えを持って活動されているのかお話を伺いました。
-セパタクローとは-
タイとマレーシアで生まれ、東南アジアでは人気スポーツとして盛んに行われている。
簡単にいえば、バトミントンコートを使って行う、足を使ったバレーボール。
3人対3人で対戦し、プラスチック製のボールを蹴り合う。
相手コートにスパイクを打ち込む時の華麗で豪快な足技は見るものを驚かせる。
現在、東南アジアだけに留まらずアメリカやヨーロッパにも広がっており、世界的に注目を集め、近々オリンピック競技として採用されることが期待される。
日本では、1989年頃から協会、選手と共に活動に励んできた。
まだ少ない年数ながらも、選手と役員の努力の甲斐あって、ここ数年急成長を遂げており、男女とも世界のトップグループで熱戦を繰り広げている。
指定された待ち合わせ場所、亜細亜大学の体育館に伺ってみると、20代を中心とした男女の若いセパ・タクロー選手達が白熱した試合を展開していて、いきなり物凄い熱気が伝わってきて圧倒されました。
ネットを越えるオーバーヘッドキックのようなスパイク、それをネットよりも高く上がった足がブロックしようとする。ズバッとスパイクが2本の足をすり抜けて決まると、その豪快さに見ている方も気持ちよくなります。
率直な感想として、本当に華麗でダイナミックなセパ・タクロー。
1試合終えた寺本さんが私の座っているところに、先程までの真剣な表情からは想像できない柔らかい面持ちでやって来ました。
久しぶりの挨拶を終え、次の試合に備えて入念に柔軟体操を行う寺本さんにお話を伺いました。
- のっぽくん
- 体、柔らかいですね!
- 寺本さん
そうですね。 サッカーをやってるときは硬かったんですが、セパ・タクローは全身使いますし、特に足を高くあげるので、体が柔らかくないとできないんですよ。
- のっぽくん
- それにしても、すごい。 (まるで、体操選手のようです。) そういえば、もともとはサッカーをされていたんですよね?
- 寺本さん
そうですね。 もともとは高校までサッカーをやっていました。 高校3年の夏に、地元広島でセパ・タクローの大会が開かれたんですが、広島にはセパ・タクローのチームが無くて、それじゃあカッコ悪いということでサッカー部の監督から出場してみないかと誘われました。即席チームです。 サッカーをやっていたのでセパ・タクローになじみやすかったということはあるんですが、ボールが小さくて難しいなぁって思ったんです。 でも、その時に初めて実際に試合を見て、その華麗で豪快な足技に衝撃を受けました。
- のっぽくん
- それからセパ・タクロー人生が始まったんですね。 めぐりあわせって面白いですね。
- 寺本さん
そうですね。 もともとは高校までサッカーをやっていました。 高校3年の夏に、地元広島でセパ・タクローの大会が開かれたんですが、広島にはセパ・タクローのチームが無くて、それじゃあカッコ悪いということでサッカー部の監督から出場してみないかと誘われました。即席チームです。 サッカーをやっていたのでセパ・タクローになじみやすかったということはあるんですが、ボールが小さくて難しいなぁって思ったんです。 でも、その時に初めて実際に試合を見て、その華麗で豪快な足技に衝撃を受けました。
- のっぽくん
- それからセパ・タクロー人生が始まったんですね。 めぐりあわせって面白いですね。
- 寺本さん
そうですね。 その広島での大会の後にすぐ世界大会があったんですが、幸運なことに私も日本代表として参加させてもらったんです。 もちろん結果は散々でしたが、そのときに世界の舞台で日の丸を背負ってプレイをするってこういうことなんだと実感したんです。 サッカーで日本代表というのは競技人口からいってなかなか難しいですが、セパ・タクローは日本ではまだまだマイナーなスポーツです。 だからこそ、セパタクローで世界を舞台にして活躍して、メジャーにしていきたいって強く思ったんです。
- のっぽくん
- なるほど。 日本代表として活躍するということは、プレッシャーではあると思いますが、相当な魅力とモチベーションなんですね。 そして、その舞台で活躍するために亜細亜大学へと進まれたんですね。
- 寺本さん
はい。 亜細亜大学には一芸一能試験という制度があるので、セパ・タクローで合格しました。 そこからはセパ・タクロー一色の生活でしたね。 強くなりたいの一心で、ほとんど全ての時間をセパ・タクローにつぎ込みました。
- のっぽくん
- すごいですね。 もともと負けず嫌いなのでしょうか、入り込んでしまうんですね。 大学を卒業されてからは、タイのプロリーグで活躍されていますが、どういうきっかけだったんですか?
- 寺本さん
強くなるためにはどうしても、本場のタイに行って、一流の選手たちのプレイを肌で味わいたいと思っていたので、タイのセパタクロー協会の知り合いに「練習だけでも参加させてほしい」と飛び込みで掛け合ったんです。 運がいいことに、タイでは最も強豪であるチームの練習に参加させてもらうことになったんですが、たまたまチームのオーナーに認めて頂いて、選手として契約することになったんです。
- のっぽくん
- それは突然ですか?
- 寺本さん
そうですね。 突然参加して、突然契約に至ったという感じですね。(笑) ただ、やっぱり本場の一流選手は技術も高さも違いますので、とても刺激になると同時に生き残るのに必死でした。
- のっぽくん
- セパ・タクローの本場タイの、最も強いチームで、さらに3人しか立てないコートでプレーするわけですからね。 しかし、最後の試合ではスタメンで活躍されましたよね。
- 寺本さん
そうですね。 タイでは、セパ・タクローはムエタイと並んで人気スポーツですので、もちろんテレビ中継もされますし、非常に光栄なことです。
- のっぽくん
- 選手としての報酬は、相当もらえるんですか?
- 寺本さん
いいえ。 もちろん、子供たちが憧れるプロですので、タイでは金額としては人並み以上は稼げますが、日本では生活するのがやっとというレベルのお金しかもらえません。
- のっぽくん
- やっぱり物価の差も大きいんですね。 いろんな意味で、日本人セパタクロー選手として活躍する上で苦労があると思うんですが、タイで生活してみていかがでしたか?
- 寺本さん
苦労したことと言えば、やっぱり食べ物と言葉と暑さですね。 とにかくほとんどの食べ物が辛いです。 もちろん味付けも日本の食事と違いますので、慣れるまでに時間がかかりました。
- のっぽくん
- タイには、体が資本であるスポーツをしに行っているわけですらね。 しかもプロですから、食事をまともにとれないということはかなり辛いですね。
- 寺本さん
はい。 別に偏見とかではなくて、衛生状態も観光で行く場所と違ってあまり良くないので、食中毒には何度かなりました。入院したこともあります。 それもあってトラウマというか、ご飯以外のものは食べられなくなって、そのご飯も日本で食べるお米と違って、いわゆるタイ米ですから、パサパサして日本人の僕にはあまりおいしく感じられないんですよね。 口に無理やり詰め込んでいたという状況もありました。 それでも食べないとどうにもならないですから。 プロというと、待遇良く生活ができるイメージがありますが、僕の場合全くないですね。
- のっぽくん
- 言葉はどうでしたか?
- 寺本さん
タイには学生時代から何度も行っているんですが、最初は全くできませんでしたから辛かったですね。 もともと寂しがりやなので余計に。 もちろん、今はもう生活には全く困らないくらいに話せます。
- のっぽくん
- 現在の生活スタイルはどんな感じですか?
- 寺本さん
現在は、タイのリーグも終了して基本的には日本にいるんですが、仕事をしながらでないと生活ができないのが現状です。 大学に外国人教師用のアパートがあるんですけど、そこに住まわせてもらいながら、仕事として管理人をさせてもらっています。 それと昼間は知り合いの会社で事務を手伝ってます。 残りの夜の時間を、大学の選手たちにコーチをしながら自分の練習にしているという感じです。
- のっぽくん
- 本当に大変ですね! しっかりとしたビジョンがないとできないですよね。 今後の夢は、どうお考えですか?
- 寺本さん
はい。(強い声で) セパタクローをメジャーにしたいんです。 今は正直に言って多少認識されてきてはいますが、まだまだ日本ではマイナーなスポーツですから、もっともっとたくさんの人たちにセパ・タクローの魅力を知ってもらって競技人口を増やせればと思ってます。
- のっぽくん
- 私たち“スクスクのっぽくん”としては、今後、子供たちの体の成長とともに心の成長も支援していきたいと思っていますので、ジャンルを問わず何かにやりがいを持って追求する姿勢・考え方を実践している方々からのメッセージを伝えていければいいなぁと思っているんです。
- 寺本さん
そうですね。 今の子供たちはなかなか夢を持てないで成長することが多いように思うんです。 セパ・タクローのプロとはいっても、正直に言うとお金にはならないですし、日本代表のユニフォームも選手各自の自費で用意するというような状況ですが、僕はこのセパ・タクローに大きな夢を持っていますし、打ち込めば打ち込むほどやりがいは大きくなっていきます。 つまり心の成長が得られるんです。 お金だけを追求することって難しいことだと思うんですよね。 現代の日本では、飢えることはよっぽどの環境で無い限りないですけど、子供たちが夢を持って何かに打ち込むことはタイの子供に比べると少ないような気がします。 物質的にハングリーになることがないことが夢を持てない理由だとすれば、大人が子供たちに魅力のある生き方を見せることも、充実感を得るための1つの方法であっても良いと思います。 次の世代に目的を持って進んでほしいと思ってます。
- のっぽくん
- どのようにしてセパ・タクローをメジャーにしていこうとお考えですか?
- 寺本さん
まずは、自分たちが勝つことで目立っていくことが必要だと思っています。 自分たちは宣伝の仕方などは分からないんですけど、大会でメダルをとることでメディアに取り上げてもらますからね。 日本は世界大会では最下位を争っていたんですけど、2002年釜山・アジア大会では銅メダルを獲得するまでになっているんです。
- のっぽくん
- 短期間によくそんなにレベルが上がりましたね。
- 寺本さん
協会の方々との協力体制が凄くいいんです。 それとみんな必死ですから。 日本人の選手は、金銭的なサポートがほとんどないので、練習する時間は満足にとれませんが、その分どうやって効率的に強くなるか考えるので環境的にハングリーなんです。
- のっぽくん
- 他のスポーツでは考えられない状況ですね。 今後オリンピック競技になると更にいいですね。
- 寺本さん
はい。 ただ、現状では北京オリンピックで公開競技になるかどうかというところですから、まだまだ時間はかかると思います。
- のっぽくん
- 不安はありますか?
- 寺本さん
それはありますね。 生活のこと、仕事のこと、将来のこと。 ただ以前ほどではないですけど。 自分自身がこの競技を通して精神的に鍛えられますから。 不安に駆られたときは、片道切符でタイに渡ります。 そうすると、何のためにセパ・タクローを追求しているのか、自分の足元を見つめなおすことができるんですよね。
- のっぽくん
- なるほど。 本当に目的がしっかりしているんですね。 精神や考え方が鍛えられていればどんな仕事でも目的を持って達成できるようになるのではないでしょうか? もともとスポーツには身体を鍛える以外にそういった意味合いもありますから。
- 寺本さん
ありがとうございます。
- のっぽくん
- ところで子供の頃はどんな少年でしたか?
- 寺本さん
とにかく外でずーっと体を使って遊んでました。 スポーツは兄がサッカーをしていた影響で、小学校2年生から僕も始めました。
- のっぽくん
- セパタクローを始めるきっかけの大本ですね。
- 寺本さん
そうですね。
- のっぽくん
- どの時期に一番身長が伸びましたか?
- 寺本さん
僕の場合、高校生になってからが一番伸びました。 いつも学校で並ぶ時には一番前で、中3の時は150cmもなかったですから。
- のっぽくん
- 今は176cmですよね? 高校生になってから26cm以上伸びるのは珍しいですよ。
- 寺本さん
はい。 高校の部活の練習が中学の時よりもきつかったので、そのエネルギーを養うために、とにかく良く食べて良く寝ました。 その頃から朝ごはんを食べるようになったので、その影響もあるかもしれません。
- のっぽくん
- そのときに身長を伸ばす為の良い生活習慣ができたようですね。
- 寺本さん
はい。 もともと好き嫌いはないですからそれも良かったと思います。
- のっぽくん
- このインタビューを読んでいる方には良い情報です。 どうもありがとうございます。自分の好きなことを追求する寺本さんは、とても魅力的です。 ぜひ、将来のある子供たちや、親御さんたちに、寺本さんの考え方や素晴らしさを知ってもらえればと思いますし、少しでもセパ・タクローの魅力をお伝えできればいいなと思っています。 今日は本当に刺激的なお話をありがとうございました。
- 寺本さん
いえ、こちらこそありがとうございました。 お互い頑張って充実しましょう!! (ガッチリ握手)
インタビュー目次
おすすめインタビューBEST5
-
サッカーワールドカップ日本代表 福西崇史さん
スポーツだったら、姿勢だったり、体幹だったり。何にしても基本が大事。
-
杉山愛さんの母・杉山芙沙子さん
コミュニケーションとは、人の空気を読んだり、観察をしたり、判断したりする力が必要になってきますよね。
-
10代目体操のお兄さん・佐藤弘道さん
遊び心を忘れない大人になって欲しいです。子どもが男の子だから…
-
サッカー日本女子代表・宮間あやさん
日々サッカーを楽しめたらいいなと思ってやっています。
-
天才セッター・中田久美さん
小さい頃にバランスの取れた食生活をすることが、アスリートにとって非常に重要だと思います。