藤本豊久プロフィール
青森県青森市出身 1966年6月生まれ 身長180cm 父の身長172cm 母の身長160cm 小学校4年生でクロスカントリースキーに出会う。スキーの名門・東奥義塾高校に進学。高校2年生のとき、インターハイのリレー競技、団体で優勝。世界ジュニア選手権に出場など戦績を残し中央大学に。インカレ、国体などで活躍したが、28歳に現役を退きコーチに。現在、富山県の川田工業(株)企画室に勤務しながら、全日本スキー連盟クロスカントリーチーム・ヘッドコーチ(3年目)を任され、来年行われるトリノ五輪に向け、選手の指導にあたっている。
選手からコーチへすべてポジティブに突き進む
- のっぽくん
- クロスカントリーとの出会いは?
- 藤本さん
小4のときにアルペンスキーをやりたくて。学校のスキー部に入ったら顧問の先生から、お前はクロスカントリーだ、といわれて、じゃあ辞めたということで、最初は毛嫌いしていたんです。でも翌年に、上級生がクロスカントリーを校庭で練習しているのをみて、なんだか楽しそうだなと。
- のっぽくん
- 実際、やってみて?
- 藤本さん
楽しかったですよね。雪のなかで、がむしゃらに走る。単純に楽しかったですね。それで小5のときに、市の大会で優勝して、もっと楽しいものだと。中学校に上がると、競技会で他県に行ったり、合宿があったり、それも楽しみのひとつでした。さらには、大会でいい成績を残せたら嬉しいし。負けたら悔しい。また悔しさがあるから、頑張れる。その繰り返しです。
- のっぽくん
- 選手生活が小5から27歳まで。モチベーションを保ち続けたのは?
- 藤本さん
五輪には出場できなかった。やはり、その悔しさをいつも持っていましたからね。それが競技生活を支えていたのかもしれません。また、いろんな出逢いがあり、人生の経験を豊かにしてくれた。それは、とても大きかったですね。
- のっぽくん
- 選手からコーチになったのは?
- 藤本さん
当時、全日本スキー連盟が26歳以上は国際大会の選手に選ばないという方針を打ちだしたのです。世界大会に出るという、それまでの夢はぷつりと消えてしまったようなものですね。まあ、そこで恨んだわけではありません。体力的にも、そろそろかなと思っていましたから。 それで京都にある企業のスキー部のコーチをやらせてもらうことになりました。その後、支援していただいている川田工業が、スキーチームを作るということで、現在、お世話になっているのです。
- のっぽくん
- コーチとして、どのようなことに気をつけていますか?
- 藤本さん
自分の意見を押し付けないようにしています。しかし、選手との対話は難しいですね。自分が思っていることが、どうすればいいか、よく考えています。
- のっぽくん
- その後、五輪のコーチとして呼ばれたのですね?
- 藤本さん
正確にはやる人がいないので、僕が・・・・・・。全日本のコーチは3年前に引き受けたのですが、その直前、会社の方針で、スキー部がなくなってしまったのです。世界で戦える選手を育てるのが夢だったので・・・・・・。 それで、しばらく東京で営業をしていたんです。スキーを忘れる努力をしながら。もう自分は、これから先、ずっと営業マンでやるのかなと。 でも、どうにかしてスキーには携わりたいと。それでスキー連盟の方とかと話をしていたんですよね。
- のっぽくん
- コーチをやる人がいないというのは?
- 藤本さん
連盟のほうでも、コーチになってもらいたい人がいたようですが、金銭面で折り合わなかったようで、引き受ける人がいなかったのです。 コーチがいなければ選手が困るわけで、それなら僕が、ということで。将来のことを何も考えずに。
- のっぽくん
- 将来を考えずというのは?
- 藤本さん
39歳という年齢ですから、会社としては、いつまでも夢を追っていないで、仕事に専念しろよ、という意味もあったと思うんです。 そのときは結婚して、子供もいましたから、守りに入らないといけない年齢なんでしょう。会社が打ちだしてくれた道だと思うんですよ。 一応、現在は会社に所属している身で、コーチをやっていますが、その後のことは、わからないですし・・・・・・。
- のっぽくん
- 奥様とは話し合われたのですか?
- 藤本さん
どうするかと妻と聞いてみたら、自分が好きじゃないことをする時間と、好きなことをする時間。同じ時間だけど、中身は全然違うから、好きなようにやってと、言ってくれました。 金銭的には苦労かけるし、半年は海外遠征で留守にしている。ずいぶん、わがままさせてもらっていますよ。
- のっぽくん
- 家族のバックアップがあってこそですね。トリノ五輪に向けて、豊富を?
- 藤本さん
選手にメダルをとってもらうのが夢ですね。またヘッドコーチとして選手だけではなく、チーム全体を考えなくてはいけない。僕の下にコーチが二人でワックスマンが実質3名。ドクターたちが2~3名いて、組織の中で動いているので、そのスタッフと選手たちの潤滑油になれるようにがんばります。
- のっぽくん
- トリノ五輪のあとは?
- 藤本さん
まだ決まっていませんが、夢があります。フィンランドの大学でコーチングの勉強をすることです。生活など考えると不安な部分もありますが・・・・・・、いずれにしろ、育てた選手からメダリストが出るまで、スキーには携わっていきたいですね。
インタビュー目次
おすすめインタビューBEST5
-
サッカーワールドカップ日本代表 福西崇史さん
スポーツだったら、姿勢だったり、体幹だったり。何にしても基本が大事。
-
杉山愛さんの母・杉山芙沙子さん
コミュニケーションとは、人の空気を読んだり、観察をしたり、判断したりする力が必要になってきますよね。
-
10代目体操のお兄さん・佐藤弘道さん
遊び心を忘れない大人になって欲しいです。子どもが男の子だから…
-
サッカー日本女子代表・宮間あやさん
日々サッカーを楽しめたらいいなと思ってやっています。
-
天才セッター・中田久美さん
小さい頃にバランスの取れた食生活をすることが、アスリートにとって非常に重要だと思います。