ダニエル・カールプロフィール
1960年 アメリカ・カリフォルニア州生まれ。 高校時代に、奈良県・智弁学園に交換留学生として初来日。 パシフィック大学時代に、関西外語大学に留学。 1981年 大学卒業後、文部省の教育指導主事の助手として山形県に赴人し英語教師に。 その後、通訳・翻訳会社の経営を経てタレントに。流暢な山形弁で人気者になる。 NHK教育『すくすく赤ちゃん』の司会を4年 日本テレビ系『ぶらり途中下車の旅』、TBS系『世界ふしぎ発見』 などに出演。 著書、『ダニエル・カールの国際交流入門』(ぎょうせい刊)、『「超・日本人」のススメ』(ミニワールド刊)など多数。 妻、息子の三人家族。 趣味・特技は、子育て、旅行、映画鑑賞など。
気さくな笑顔と、温もりのある方言
世田谷区にあるダニエル・カールさんの事務所を訪ねると、
「いやいや、わざわざ来てくださって、どもども」
あの気さくな笑顔と、温もりのある方言が出迎えてくれました。
え、いきなりご本人が・・・・・。
そうなのです。お話を伺った事務所は、ダニエルさんが経営する芸能事務所。
しかも事務所のスタッフが外出されていて、ダニエルさんが留守番だとか……。
作家の北方謙三さんや自動車評論家の徳大寺有恒さんらが所属する事務所には、お仕事の電話が度々あり、丁寧に対応するダニエルさん。
取材はしばしば中断しましたが、その誠意ある電話の対応を間近で見て、ダニエルさんのお人柄のよさがとてもよくつたわってきます。
日本にやってきて25年──。英語教師から通訳会社経営を経て、今ではタレントとして活躍しているダニエルさん。子育て話の前に、そんな彼が歩んできた人生をお聞きしました。
日本で活躍している外国人タレントは、
みなさんが、タレントとして日本に来ているわけじゃないんですよ。
- のっぽくん
- 今日はお忙しいなか、ありがとうございます。さっそくタレントとしての活躍ぶりからお話を伺いたいと思います。テレビで拝見していても、もはや”異色タレント”、”外国人タレント”ということさえ忘れてしまうくらい、日本のテレビに馴染んでいらっしゃいますね。そもそもタレントになった経緯から教えてください。
- ダニエル
- 「まあ、お茶の間に定着したというのはありがたいことですよ。最近、ロケバスで移動しているときにアメリカから電話がかかってきて、当然、英語で話していたら、周りのテレビクルーの人たちが、驚いているんですよ。「ダニエルが英語しゃべっているよ」「本当に、英語話せるんだ」と。ちょっと待ってよと、思ったけど、それだけ”外国人タレント”ではなく”タレント”として溶け込めたんでねえかとね。89年の正月に放送されたTBSの特別番組にエキストラとして出演してから、約15年、まあ、ようやくですけれどね。」
- のっぽくん
- タレントになるきっかけは、テレビ番組のエキストラ出演だったんですね。
- ダニエル
- 「そうなんですよ。元旦の番組で外国人が集るパーティーの様子を撮影したいから、外国人を集めてくれないかとテレビ制作会社の人に頼まれたんですよ。本当は僕の友人が頼まれたんだけど、彼は急きょ、アメリカに帰らなくてはならなくなり、「お前ならできるだろう」と。それで、なんとか30人ほど外国人を集めることができたんですよね。
でも、その番組ではレポーターが外国人にインタビューするという。そんな話まで聞いていなかったから、集まった外国人は日本語が話せない人ばかり。しょうがないから僕が通訳になったけど、山形から上京してまもなくで、標準語と縁がなかった時期でしたから。ま、それで・・・・・山形弁でばんばん話したんです。そしたら、スタジオにいる伊東四郎さんも面白がってくれたわけですよ。世の中に変った外国人がいるんだねって。
それで、その番組で知り合ったレポーターのマネージャーさんとたまたま名刺交換しまして・・・・・、それから、なんだかんだで、ある芸能事務所の社長が、僕に会いたいと。まあ、僕は通訳・翻訳会社やっているから、時間が空いていたら協力しますよということで。
それが、いつのまにか、そっちのほうがだんだん忙しくなってしまって。どっちが本業かわからなくなってしまって・・・・・。」 - のっぽくん
- もともとタレント活動には興味があったのですか?
- ダニエル
- 「日本で活躍している外国人タレントは、みなさんが、タレントとして日本に来ているわけじゃないんですよ。みなさん、しっかりした本業があって、たまたま空いているときに、タレントになったわけですよ。
肩書きが弁護士やスポーツトレーナーだったり。オスマン・サンコンさんは外交官だし、デーブ・スペクターさんはABCのプロデュサー。みなさんすごい肩書きを持っている人ばかりなんですよね。
僕も、当時、会社を経営していたぐらいだからね、タレントになるなんて、まったく考えていませんでした。その前は、山形県で英語の先生をしていたし、女房も、そこで出会った先生同士。しかも、女房の親戚はみんな先生の教育一家。教育界と芸能界は、まったく正反対ですからね。僕も、最初は戸惑いましたよ。しかもなんの訓練もしていないのに、いきなりタレントになるなんて・・・・・。」 - のっぽくん
- そんなとき他の外国人タレントの方から、アドバイスを受けたりしたんですか?
- ダニエル
- 「その頃は外国人=変な外人で、外国人タレントは、みんなお笑い系になっていたんですよね。チャック・ウィルソンさん、オスマン・サンコンさん、デーブ・スペクターさんも、けっこういましたね。
だから、僕も、そういう役を期待されているのかなと思っていたんです。
でも弁護士でタレントのケント・ギルバートさんから「テレビにでるときにパーソナリティを作る必要はないよ。無理してテレビに出ていると疲れるよ」と。自分の姿、そのままで出演して、それが受ければいいんであって、受けなければ、それでいいんだよと、言われたんです。お笑い系の素質が、僕にはないことがわかっていたから、その言葉にとても救われました。」 - のっぽくん
- 現在、司会、レポーター、コメンテーターと様々に活躍されていますが、ダニエルさんはどのお仕事が、ご自分に合っていると思いますか?
- ダニエル
- 「他の芸能人と一緒になって、気の利いた話をしなければならないコメンテーターよりも、ロケや旅番組などのレポーターが好きですね。行ったことのないところに行き、名物を探したり、美味しいものを探したり、地元の人と話しをしたりするのが楽しいですよ。
来日して25年ですが、ガイドというか、日本を観光客の視点で見るように心がけているんです。日本各地をレポートするときに大切なのは、いつでも新鮮な目で見続けること。文化人類学的な目で日本を見るというと大げさだけど、いろいろ変った風習や習慣を外国人の目で見つけていくことですね。日本人には当たり前すぎて気がつかないことや、ホンのささいなことに目を配ろうと気をつけています。」 - のっぽくん
- そういう客観的なレポートが、視聴者にも新鮮だし、楽しく観ることができるのでしょうね。
- ダニエル
- 「いまだに日本の勉強を続けていまして。習慣、言葉、考え方とか、わからないことがいっぱいあるんですが、違うんだから批判するのではなく、ここがアメリカと違うんだなとか、考え方が違うなと、なぜ違うのかルーツを探すのが好きなんですよね。そういうのが、自然に出てしまうのでしょう。」
インタビュー目次
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