岡崎朋美プロフィール
1971年 北海道斜里郡清里町の酪農一家にて生まれる 1980年 スケートを始める 1994年 リレハンメルオリンピック出場 1998年 長野オリンピック出場 銅メダル獲得 2002年 ソルトレイクシティオリンピック出場 2006年 トリノオリンピック出場 マイペースがモットー。常に限界を考えず、5度目のオリンピック出場を目指して、現在もトレーニングに励んでいる。
温もり溢れる岡崎家の居間
「小さいときから、いつもニコニコしていましたね。人見知りしない子でしたからね。お姉ちゃん、お兄ちゃんの学校の友達ともすぐに仲良くなるし、酪農家の研修旅行などがあって一緒に行くと、不思議とみんなに可愛がられてね。
“朋、一緒に寝るか?”といって、よそのお母さんの布団に潜っていたこともありました。私たちは仕事が忙しくて、なんにも構ってあげられなかったけど、みんなにかわいがられていたからね」
オリンピック四大会連続出場。長野五輪銅メダル、トリノ五輪4位という輝かしい記録もさることながら、多くの人々に印象深く残っているのは、岡崎朋美選手の爽やかな笑顔だ。
あれほど人を魅了する笑顔の原点は─。その問いに、母・イセノさんは懐かしそうに、こう語ってくれた。
お話をうかがったのは岡崎家の居間。窓からの景色は雪一色。
それでもストーブが炊かれていて、部屋のなかはポカポカと温かい。
しかし、ストーブの温もりだけではない、部屋に入った瞬間に、ホッとする、懐かしいような、羽毛に包まれるような温もりが、岡崎家の居間には溢れている。
岡崎家にとっては当たり前かもしれないが、はじめて、そこを訪れた人でさえ、ついウトウトしてしまうような居心地の良さを感じてしまう─。
そんな家で、岡崎朋美選手は、両親、6歳上の姉、4歳上の兄に囲まれながら、スクスクと育っていった。
「子供たちのことは、もう何も面倒みられなかった」
というように、たしかに元さん、イセノさんは多忙だった。
岡崎選手が小さい頃から、たったふたりで40頭近くの牛を飼育し、朝早くから夜遅くまで牛の世話に時間を費やしてきた。今と違い、機械化されていない酪農は、手間ひまがかかる。
「朋が子供のころは、このあたりの道路も舗装もされていないから、いつも道はグチャグチャ。そこを走り回ったり、三輪車で遊んでいたり、いつも泥だらけになって遊んでいました。
遊ぶのに飽きると、私たちが牛に餌をやるために一輪車(猫車=一輪の手押し車)を押していると、それを追いかけたり、手伝ってくれたり。
今と違って、ゲームもなければ、オモチャもそんなにない。遊びといえば、外で身体を動かして遊ぶことだけでしたからね」
近くの町までは4km弱。近所といっても、隣家まで200m以上。
おのずと自然が友達になっていく。
あまり面倒を見られなかったとイセノさんは繰り返すが、両親は家からすぐの牛舎にいる。
「働いていても、家のことはたいてい聞こえてきましたから。“あーケンカしているな”とかね。なんでも見えていましたから、危険なこと以外は、あえて構わないで放っておきました」(イセノさん)
というから、子供の面倒を見ないというよりも、見守っていたというのが正しい気がする。
しかも、牛舎で働く両親の耳に、岡崎選手が姉や兄とケンカした声は聞こえたことがないという。
「とくにお姉ちゃんやお兄ちゃんとは年が離れているから、みんな朋には優しかったな。だから、いつも朋はニコニコしていましたよ。私たちは、いろいろ仕事があって大変だったけど、家に帰ると、いつも笑って出迎えてくれたな。たしかに家には笑顔だけは、いっぱいだったな」
と、元さんも語る。
訪れたときに感じた温もり溢れる居間。そこは岡崎家の愛情が詰まっているのだろう。
なんとなく岡崎選手の爽やかな笑顔の原点が見えた気がした。
インタビュー目次
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