大場満郎プロフィール
1953年 山形県最上町で農家の長男として生まれ、29歳まで農業に従事。 冒険旅行を兼ねてアマゾン河6000kmを筏で下り、その後世界で初めて、北極・南極 両極単独歩行横断を果たした。 1999年 植村直己冒険賞 受賞 2001年 夢だった「アースアカデミー・大場満郎冒険学校」スタート。 現在も、子供たちに人間本来の豊かな生き方を提案し続けている。
草原の中の冒険学校
東京駅から東北新幹線で2時間、途中JR陸羽東線に乗り次ぐ。 車窓にはブナや松の木々、高さ10mはある杉などが生い茂る原 生林が広がる。
車内で賑やかにしてるのは、リュックを背負った温泉目当ての 年配女性の旅行者たちが、15人ほどのグループ。“奥の細道湯 煙ライン”の愛称の通り、陸羽東線は鳴子温泉・川渡温泉・中 山平温泉などの名湯・秘湯を通過していく。
硫黄の匂いを感じつつ、湯気を立ち上らせている町並みを横目 に、揺られること約90分、JR最上駅に到着した。
古い駅舎を出ると、隣に公民館、前には八百屋兼洋服屋と酒屋 兼本屋の2件。年配者が数人歩き、駅前なのに車は1分間に2 ~3台通る程度。のどかな最上町ではスーツ姿は少し浮いてい るようだ。
タクシーで『大場満郎冒険学校』に。民家の多い駅前から5分 も走ると、野球場が10面は取れそうな草原が続き、牛が放牧さ れている。タクシーはそんな草原をさらに5分ほど走り『大場 満郎冒険学校』に到着した。
『大場満郎冒険学校』は、『前森高原アウトドアエリア』とい う広大な屋外レジャースポットの一角にある。周囲には、乗馬 体験・ふれあい陶芸・キャンプ場などがある。
その外観はスキー場のロッジそのもの。豪雪地帯特有の、2m ほどの高さのコンクリートの土台があり、赤茶色に塗られた木 製の外壁に緑色の屋根、鉄筋二階建ての建物が『大場満郎冒険 学校』だ。
訪れた日は快晴で気温は27℃くらい。爽やかな草の匂いを含ん だ風が吹きぬける。スーツでは少し暑いが、湿度が少ないため 快適。建物の隣には、犬小屋があり、ハスキー犬や北海道犬な ど10頭の大型犬が、人懐っこそうに出迎えてくれる。冬場には ソリを引っ張ってくれる犬たちだ。童心に返ったような気分で、 冒険学校にお邪魔した。
建物の中に入ると、身長は165cm前後、赤いTシャツの袖から覗 く腕は太く、決して太っているわけではないが、がっちりした 体格、髪こそ白いものの声も張りがあるおじさんが出迎えてく れた。 「大場満郎さんだ!」 やわらかい物腰で「遠いところからようこそ」と白い歯を見せ た。
お話を聞く前に、大場さんの案内で建物の中を見学させてもら うことにした。まず目に付くのが玄関を入った所にある黄色い テント。2~3人が寝れそうな大きさだが、よく見ると、一面 が大きく切り裂かれたように破れている。北極で寝てるときに 白熊にやぶられたという。(笑顔で話しているが、聞いている こっちがハラハラしてしまう)
床には熊の足型で順路が書いてある。順路に沿って二階に上が ると展示室があり、今までの大場さんの冒険の軌跡を見ること ができる。さきほど入ってきた玄関部分は、吹き抜けになって いて、上にパラシュートがぶら下がっていた。雪の上の冒険で は、スキーを履き、このパラシュートで風を受けて進むことも あったらしい。
ずらりと並ぶ賞状、厳しい環境で酷使されてきた道具、真っ白な大地で一人進んでいる写真を見ていると、俄然、大場さんに 興味が湧く。 この人はどんな生き方をして、どんな思いで冒険学校を開いたのだろうか・・・
インタビュー目次
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