大場満郎プロフィール
1953年 山形県最上町で農家の長男として生まれ、29歳まで農業に従事。 冒険旅行を兼ねてアマゾン河6000kmを筏で下り、その後世界で初めて、北極・南極 両極単独歩行横断を果たした。 1999年 植村直己冒険賞 受賞 2001年 夢だった「アースアカデミー・大場満郎冒険学校」スタート。 現在も、子供たちに人間本来の豊かな生き方を提案し続けている。
冒険学校という夢が見えた植村直己さんとの出会い
アマゾンで人間の“大きさ”“強さ”を痛感した大場満郎さんが次に向かったのは極寒の地・グリーンランド。85年のことだった
「67日間、1400kmを歩き、世界最北の村、シオラパルクに到着しました。そこに住むイヌイット(エスキモー)は魚やアザラシを獲る狩猟民族で、その生活は、取ったものを一切無駄にせず、大量に取って売るようなことは無いので、資源が枯渇しない。みんなで協力する昔からの暮らしが残っていました。
ただ、そんなところにも、資本主義の格差が生まれつつありました。というのも世界最北ということで、メディアや観光客が殺到し、村唯一の移動手段の犬ぞりのレンタル料を吊り上げたりする人が出てきたのです。すると、今までのような生活が、一気に崩れてしまう。村の一部の人もそれを懸念していました。お金のある生活がいいことなのか、悪いことなのか、はたして幸せなのか、どうなのか……。とても考えさせられました」
大場さんが、その後、北極、南極への旅を続けた理由──。そこには、人間はどうやって生きるべきなのか、という自問への答えを探す旅だったのかもしれない。また、その旅を続けながら、大きな夢を描き出してもいた。きっかけは、あの偉大な冒険家・植村直己さんとの出会いだった。
「植村さんは厳しい環境を旅する冒険家ということで、共感すること、また先輩とし教わることも多く、尊敬していました。その植村さんの夢が冒険学校を開くことだと聞いていたんです。自分の今までの経験を次の世代に残したいという、植村さんの強い思いに、非常に感銘を受けていました。そんな植村さんが、志なかばで、亡くなってしまったのは、その後の人生を決めてくれたようなものです」
世界的な冒険家・植村直己さんが、北米最高峰マッキンレーで遭難したことは、大場さんにとって、自分の道を決定づけた、出来事だった。植村直己の遺志──は、それだけ大場さんの心に響いていた。
「北極圏単独徒歩横断は本当に死とすれすれの旅でした。もうあきらめよう、自分には無理だと、何度となく思ったことも。でも、ここで誰も成功したことのない“両極単独徒歩横断”をやり遂げ、自分で実際に見てきたこと、そして人間の大きさ、さらには“人間らしく生きる”ということを次の世代に伝えたいと思い、なんとか、4度目の挑戦でやっと北極圏横断に成功することができたんです。いつしか、植村さんの夢は、自分の夢にもなっていたんです」
世界初の両極単独歩行横断に成功した大場さんは、2001年、生まれた最上町に戻り、町の施設を借りて冒険学校を始めた。
インタビュー目次
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