森末慎二プロフィール
1957年 岡山県に生まれる 1984年 ロス五倫体操、鉄棒で金、跳馬で銀、団体で銅メダルを獲得。 体操選手として活躍し、引退後はニュース番組のスポーツキャスターやバラエティ番組、情報番組に多数出演。ゴルフのシニアプロを目指したり、落語の道を精進したり、体操マンガの原作を手がけたりと、幅広く活躍。 今年からは、九州共立大学の客員教授に就任した。
ポジティブな発想は、子供の時から持っていたかもしれません
森末さんといえば、学生時代に、大学3年で左足のアキレス腱、大学4年で今度は右足のアキレス腱を切っている。それほどの大きなケガをしているのに、常に前向きでいられたのはなぜだろうか。
「ケガには苦労しましたが「そんなもの、しょうがない」という発想でしたから。タイムマシーンがあって、ケガする前に戻れたらいいですよ。でも、そんなことは不可能なのだから、どうこう考えてもしょうがないわけです。
それでも、大学4年のときに、アキレス腱を切ったときは、さすがにショックでしたね。前の年に、右足を切って、それが治ったときでしたから、神様が、「おまえは体操をやめろ」と言われているような気分でした。
そんなときに、体操部の恩師に、『よかったな。これで両足一緒になったな』と、言われて・・・・・・。
最初は「はあ?」という感じでしたが、その一言がきっかけで「左右のアキレス腱を切っているわけだから、またリハビリすれば、元に戻れる」と、ポジティブに考えられるようになったのです。恩師独特の励まし方がなければ、体操も辞めていたでしょうね」
その恩師の言葉は、すごいポジティブであったが、それを受け入れる森末さんの心もポジティブであった。その言葉とそれを受け入れる心がなければ、五輪の金メダルもなかったかもしれない。
「結果的に、ケガをしたことに対しては、クヨクヨ悩んでもしょうがない。痛いものを『痛い、痛い』と言っていても、治ることはないのと一緒です。
次をどう考えようか、前を向いていないと、何事も、きついですよね。
高校時代の体操部の練習で、しごかれているときなど、つらいわけですよ。もう逃げ出したくなる。実際に、そこから逃げて次の日にこない人もたくさんいたくらい。でも、僕は、目茶苦茶にしごかれているときに、終わったあとの風呂のことや疲れてグターっと布団で寝ていることしか考えていませんでした。
『この練習も一生、続くわけではない。3時間くらいすると、お風呂に入れるな]』と、それだけを考えていた。そんなポジティブ的な発想は、子供の時から持っていたかもしれませんね」
インタビュー目次
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