有森裕子プロフィール
1966年 岡山県生まれ 1988年 日本体育大学を卒業後、(株)リクルートに入社 1992年 バルセロナ五輪で銀メダル 1996年 アトランタ五輪で銅メダル 1998年 NPO「ハート・オブ・ゴールド」設立 2002年 アスリートのマネジメント会社「ライツ」設立 現在、国連人口基金親善大使、日本陸連女性委員会特別委員などを務め、国際活動にも積極的に参加している その後、後輩の指導や講演など、様々な分野で活躍中!
観察し、見守ることが大切
小学生時代の有森裕子さんは、正義感が強く、孤立したこともあったという。
1年生のとき、クラスで威張っている子に注意したため、友達と一緒に帰ってもらえなかった事があった。イジメとも捉えられる状況。そんなことがあっても、多くを聞かないことが大切だと、母・広子さんはいう。
「親としてはハラハラしましたが、勇気があるねというだけに留めました。帰ってくるたびに、くわしく様子を聞くと、子供は甘えたいので、ちょっとしたことでも、いじめられたと、思うようになるんです。うそで自分を創っていき、同情してもらおうとするんです。
そういった虚構性を作らないために、親が根掘り葉掘り聞いてはいけないと感じています。そのときも、3日後に『みんなと仲良くやってる?』と聞いて『うん』といったので、それっきり触れませんでした」
しかし、それは放ったらかしではない。きちんと観察し見守ってやるという力が、親には必要なようだ。勉強が出来る優等生の兄と、飛びぬけたもののない妹。2人の個性に違いが出てきた学童期の有森家で、広子さんはどのように子供と接してきたのだろうか。
厳しさの中で見せる優しさ
「2人を比べることはしませんでした。たしかに娘の方が、理解度は遅かったと思います。しかし、“できる、できない”という言葉ではなく“遅いか、早いか”で子供を評価したほうがいいと感じていました。
遅い子はいつか早くなってくる、早い子もいつかは遅くなる、そういう目で、子供を見ると、可能性が見えるのではないでしょうか」
裕子さんが、とても印象に残っていたのが、小学校卒業のときの、母の行動だったという。広子さんが説明してくれた。
「卒業前の父母懇談で、娘の評価を聞いたときでした。裕子に対する評価は、どの先生も“注意力散漫”でした。私も親ですから、家での娘のことは、分かっているつもりです。
ですから、私の知らない学校生活で、一つでもいいから、先生があの子を誉めてくれるとしたらどこか尋ねたんです。先生はビックリしていましたが、素直で明るくて、天真爛漫な子だと言ってくれました」
このことは、裕子さんが後になって語っている。
『母が先生に、私のことを誉めてくれと言ってくれたことが一番うれしかった。なんと強いお母さんだろうと。確かに母は厳しかったが、こんな両親に育てられて、私は嬉しく思った』
(『子育てライブラリー』より)
厳しさのなかで、ときには優しく接する母親と、それを影で支え続ける父親。そんな家庭で育った裕子さんは、後に自分の目標に向かい進むこととなる。
インタビュー目次
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