立花美哉プロフィール
1974年 京都府出身 1978年 水泳を始める 1998年 世界選手権デュエット・チーム2位 ソロ3位 2000年 シドニーオリンピック デュエット・チーム銀メダル 2001年 世界水泳 デュエット・チーム金メダル 2004年 アテネオリンピック デュエット・チーム銀メダル 現在現役を引退し、アメリカで指導者として勉強を重ねている
運命的な出会い 井村シンクロクラブへ
美哉さんがシンクロを始め、転機はすぐにやってきたと母・綾子さんはいう。井村雅代さんとの出会いだ。井村さんは78年からシンクロの世界選手権で日本代表のコーチを、さらに96年アトランタオリンピックからはヘッドコーチとして長年にわたり、日本のシンクロ界を牽引してきた立役者。その井村さんが週に一度だけ、講師として京都踏水会で指導を行っていたのである。当然、シンクロを始めたばかりの美哉さんは指導してもらえなかった。その井村さんに衝撃を受けたのはむしろ綾子さんのほうだった。
「美哉の練習をプールの上から見学しているときに井村先生を見かけ、背中に電気が走ったんです。その瞬間に、この先生に教えてもらいたいと思ったんです」
シンクロのことは、まったく分からないという綾子さんの直感だった。
「井村シンクロクラブに入れていただきたい、ぜひとも練習をさせていただきたいと手紙を書きました」
しかし、帰ってきた返事は『今はその時期ではない』という断りの内容。だが綾子さんは諦めてはいなかったという。
「一年後にもう一度手紙を書いたんです。そこで改めて井村先生の下で練習させていただきたいと伝え、井村シンクロクラブに入れていただくことになりました」
ついに井村シンクロクラブに通うことが出来た美哉さん。自宅から比較的近かった京都踏水会から、大阪の井村シンクロクラブへ。送り迎えなどは大変にはならなかったのだろうか。
「井村先生に教えていただこうと思ったときに、私は口出しせず、裏方に徹しようと決めていましたし、専業主婦でしたから、食事や送り迎えを大変だと思ったことはありませんでした」
美哉さん本人、そして何より綾子さんが惚れ込んだ井村さん。その時の綾子さんの情熱がなければ、今の美哉さんはなかったのかもしれない。
インタビュー目次
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