岩崎恭子プロフィール
1978年 静岡県沼津市に生まれる 1983年 水泳を始める 1992年 バルセロナオリンピック200m平泳ぎで活躍 1996年 アトランタオリンピック出場 1998年 競技生活を引退 2004年 アテネオリンピック デュエット・チーム銀メダル その後は、水泳の指導について学ぶためにアメリカへ留学。帰国後は水泳の指導などに励むかたわら、TV等でコメンテーターとしても活躍。日本オリンピック委員会 環境アンバサダー、日本水泳連盟競泳委員会委員。
ナショナルチームでのコーチとの出会い
普段は沼津のスイミングスクールで練習をしていた恭子さんが、バルセロナオリンピックの前にナショナルチームで出会ったコーチとの関係についての話が興味深い。
1992年に開かれたバルセロナオリンピックに向けた恭子さんのスケジュールは以下のようなものだ。
まず、4月にオリンピックの選考会が行われた。そして、オリンピックに出場することが決まった選手たちは、日本のナショナルチームの一員として5月から静岡で合宿をしてトレーニングに励む。そして、6月にはヨーロッパへ向けて出発する。ヨーロッパを一ヶ月半ほど転々としながらのトレーニングを経て、バルセロナでのオリンピックに臨んだ。
ナショナルチームで練習をする前までは、恭子さんは一日に数千メートル泳ぐ程度だった。しかし、5月からのトレーニングでは一万メートル近くも泳ぐようになったという。「本当にきつかった」というトレーニングを経て、どのように成長していったのだろうか。
「ナショナルチームに入って、自分のコーチの練習ではなかったので、それをとにかくこなさいといけなかったんです」
沼津のスイミングスクールに通っていた当時のコーチはナショナルチームに参加していなかったので、当然のことながら練習のメニューも変わる。「順応性はあった」という恭子さんは、新たなコーチの組む練習に必死でついていった。
こう語ったあとに、恭子さんが付け加えたのが、コーチとの出会いだ。
「あとは、担当してくれたコーチの練習がすごく私に合っていたと思います。やっぱりスポーツ選手とコーチの関係においては、出会いというのがすごく大切だと思うんですね。だからコーチだけじゃだめだし、選手だけでもダメ。そういう意味で、私が初めて通ったスイミングスクールが、すごくきつい練習をしていたら、途中でめげて、辞めていたかもしれないですし…」
そのようなコーチとの出会いの大切さを教えてくれた恭子さんに、「スクスクのっぽくん」で運動のプログラムを担当している鶴渕氏がこんな質問をぶつけた。
では、実際に恭子さん自身がコーチという立場を経験してみて、どのようなトレーニングが良いものだと考えていますか、と。
しばらく考えこんで、恭子さんは語り始めた。
インタビュー目次
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