岩崎恭子さんに聞く、スポーツの伝道者としてのこれから:スクスクのっぽくん

プロに聞く! 岩崎恭子プロフィール

1978年 静岡県沼津市に生まれる 1983年 水泳を始める 1992年 バルセロナオリンピック200m平泳ぎで活躍 1996年 アトランタオリンピック出場 1998年 競技生活を引退 2004年 アテネオリンピック デュエット・チーム銀メダル その後は、水泳の指導について学ぶためにアメリカへ留学。帰国後は水泳の指導などに励むかたわら、TV等でコメンテーターとしても活躍。日本オリンピック委員会 環境アンバサダー、日本水泳連盟競泳委員会委員。

スポーツの伝道者としてのこれから

恭子さんは、これからどのような活動をしていきたいのだろうか。

「水泳をずっとやってきて、スポーツを通して、人との付き合い方など・・・自分が学んだことはすごくいっぱいあるんですね。それが本当に大きな財産になっているので、それを色んな人にわかってもらえたらうれしいですし、私が伝えることによって、スポーツを始めるきっかけになったらいいな、と思います。だから、水泳に限らず、スポーツというものを広めていきたいな、と思いますね」

恭子さんにとって心に残っているオリンピックというのは、意外にも金メダルを獲得したバルセロナオリンピックではなくて、アトランタオリンピックのほうだという。

バルセロナオリンピックのとき以上に出場したいと強く願い、それが叶って出場できたのがアトランタオリンピックだった。あくまでも、仮定の話だと前置きしたうえで恭子さんは語ってくれた。

「もし、アトランタに出ていかなかったら、その後も(オリンピックを)目指していたのかもしれないな、とも思うんですけど・・・。やっぱり、私はアトランタを一つの区切りとして、選手をやっていて良かったな、と思えたので。

そういう、自分で誇れるものというか、頑張ってきたものがあるので、それがすごく自信になったと思うんですよね。アトランタがなければ、私はこういう仕事もしていなかったでしょうし」

お姉さんのあとを追うようにして始めた水泳が、恭子さんに与えてくれたものは計り知れない。オリンピックなどの大きな大会ではもちろんのこと、他の選手と一緒に過ごした合宿生活でも、そして普段の練習の中でも、様々なことを学ぶことが出来たという。

スポーツの伝道者として、恭子さんはこれからどんなコースを泳いでいくのだろうか。いま目の前に広がるコースには、かつてあったような確かな目印はない。だが、恭子さんならたくましく泳いでいけるのだろう。

スポーツを通して得た確かな自信があるのだから。

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