古賀稔彦さんに聞く「父親の存在」:スクスクのっぽくん

プロに聞く! 古賀稔彦プロフィール

1967年 佐賀県に生まれる 1980年 東京にある講道学舎に入門 1987年 全日本選抜体重別選手権 一位(1992年までその座を守る) 1988年 ソウルオリンピック出場 1992年 バルセロナオリンピック 金メダル獲得 1996年 アトランタオリンピック 銀メダル獲得 2000年 現役引退。全日本柔道女子強化コーチに就任 2002年 「古賀塾」を開く。 現在は古賀塾塾長を勤める傍ら、全日本女子柔道強化委員、東京オリンピック基本構想懇談会委員でも活動。また、IPU環太平洋大学体育学部体育学科教授、柔道部総監督としても活躍中。

父親の存在

良きサポーター・良き遊び相手・良きお手本。
古賀さんにとってお父さんはそのような存在であった。

お兄さんの影響を受けて小学1年生で柔道を始めたころ、古賀さんの通っている道場までは車で30分ほどの距離にあった。夕方から始まる練習に連れて行ってくれるのが古賀さんのお父さんだった。

「僕らの練習が始まる時間に合わせて家に帰ってきて、毎日送り迎えしてくれました」

お父さんは、試合の日には必ず応援に来てくれた。試合の日に仕事が重なって応援に行けないことがないように、製鉄所で働いていたお父さんは休日を返上して出勤することもあった。また、古賀さんとお兄さんが背負い投げの練習が出来るようにと、庭に鉄柱を立ててそこに自転車のチューブを巻きつけた練習器具を作ってくれた。

平成の三四郎 古賀稔彦

道場からの帰りの道における、こんなエピソードがある。

「帰る途中、たばこ屋さんがあったんですね。そこにアイスクリームも置いてあったのですが、ピュッと停まるんですね。で、『アイスクリーム買ってこい』って(言ってお小遣いをくれた)。そのときには親父としても、納得のいく練習を僕らがやったという……まぁ、ご褒美なんですね。でも、そうじゃないときには……」

たばこ屋の前で車が泊まることはなかった。

「あぁ、あそこの店を通りすぎちゃったって思いながら、家で復習をやってみたりしました。父親からは技のアドバイスをよく受けていましたね」

しっかりと練習をすればご褒美をあげる。そんなお父さんの教育方針の一端が垣間見える。ただ、お父さんは古賀さんたちに強制的に柔道をやらせていたわけではなかった。「強制」されていたら柔道をすることが嫌になっていたかもしれないと古賀さんは考えている。では、「強制」することなく柔道に取り組めたのは何故なのだろうか。

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