三國清三プロフィール
1954年 北海道に生まれる 1969年 15歳で料理人を志し、札幌グランドホテルにて修業を始める。その後、帝国ホテルに移り、修業を続ける。 1974年 20歳でスイスの軍縮会議日本政府代表部大使付きの料理長に就任。ローザンヌの「ジラルデ」、ロアンヌの「トロワグロ」など、スイス、フランスなどの三ツ星レストランで修業を重ねる。 四ッ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開店。 ルレ・エ・シャトー協会の世界5大陸トップシェフに選ばれる。 九州・沖縄サミット福岡蔵相会合の総料理長を務める。 またこの頃から、味覚を通して子供の感性を育てる「KIDSシェフ教室」を開催。以降、食育の普及に力を注ぐ。
食育とは?
食育ってそもそもどうやって始まったのですか?
「“食育”という言葉自体は結構古くから日本にあるんですよ。明治時代に福井県小浜市にいたあるお医者さんが、教育・知育・体育・徳育という言葉とともに大切なのは食育だということでこの言葉を作ったそうです。
そして日本で食育に関する法律ができたのは2005年。ずっと後です。食育の考え方が発信されたのは欧米で、1985年頃。イタリアでのスローフード運動が始まりでした。
この運動の大きな柱は3つで、郷土料理の復興と、地産地消をして農家や生産者を保護していくこと、そして子供に本物の味を伝える食育です。この考え方はあっという間に世界に広がりました。
また時期を同じくしてフランスでも自国の文化を守るためのひとつとして、一流のシェフが子供たちに味覚を教える授業が始まったんです。そんな世界的なムーブメントが起きる中、日本では服部栄養専門学校の服部幸應先生と料理研究家の内坂芳美さん、そして僕の3人が味覚の授業を始めました」
三國さんが食育を始められたのは何がきっかけだったんですか?
「僕の食育への“気づき”はフランスのシェフたちでした。フランスは食の先進国ですから、シェフたちは自分たちの手でフランス料理を守り、伝統を継いでいくために色々な運動を行っていたんです。その一貫に伝統の味、本物の味を子供たちに知ってもらう、『味覚の授業』がありました。
それで僕の修業時代に一緒だったシェフが、『三國も巻き込もうぜ!』みたいな感じで声をかけてくれたんです。『本国の味を守るためには、自分たちだけで動いていちゃだめだ。世界中にフランス料理はあるんだから』ということで、僕も参加することになりました。
そのころ出演させてもらったNHKの『課外授業ようこそ先輩』の体験を通して、僕も日本の子供たちは味覚の授業が必要だ!と思っていたので、そのふたつをきっかけに本格的に食育に関わるようになったんです」
インタビュー目次
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