大畑大介プロフィール
1975年11月11日、大阪市生まれ。 小学校2年からラグビーを始め、東海大仰星高に進学。 93年に高校日本代表に選ばれる。50メートル5秒9の俊足を武器に、京都産業大時代に日本代表入りを果たした。98年に神戸製鋼に入社し、99年ラグビーW杯に出場。その後、オーストラリアへのラグビー留学、フランス・プロリーグのモンフェランへの移籍を経て、現在、ラグビートップリーグの神戸製鋼コベルコスティーラーズに所属している。抜群の身体能力を生かして、TBSのスポーツマンNo.1決定戦で2回優勝(2001年、2003年)した。趣味は2人の娘の育児。
「常に考える練習スタイルで、力がついた。」
- のっぽくん
- 高校時代は3年間、学級委員をやっていたそうですね。
- 大畑さん
「やったというか、やらされたという感じです(笑)。担任の先生がラグビー部の監督だったので、自然に『オマエがやれ』となった。その流れで、高2も、高3も学級委員をやりました。自分からやると言ったわけじゃないんですよ。もともとみんなを引っ張るタイプではないので」
- のっぽくん
- 大畑選手が通っていた東海大学付属仰星高等学校は、進学校として知られていると同時に、スポーツに力を入れていることでも有名ですね。
- 大畑さん
「うちの高校には、テストで成績の悪い7名が、教室の一番前の列に座らせられるルールがあったんです。これを僕たちは『スペシャルシート』と呼んでいました。僕も1年生のときは、たまにそこになりましたね(笑)。自分としてはラグビーやるために高校に入ったので、最低限のことをしていればいいだろうと考えていました。進級と卒業さえできればいいと」
- のっぽくん
- とはいえ、スペシャルシートは、クラスの中で避けたいポジションだったのではないですか?
- 大畑さん
「そうですね。あまりよろしくない(笑)。基本的に運動部の人ばかり、そこに行くんでね。そこに入らないように、仲間と切磋琢磨していました」
- のっぽくん
- 高校時代は朝から練習でしたか?
- 大畑さん
「朝練はなかったです。2時間くらいかけて、遠くから来る子がいたので。放課後に2、3時間、練習がありました」
- のっぽくん
- 練習は厳しかったんですか?
- 大畑さん
「高校のラグビー部は厳しいところが多いですけど、うちの場合は選手に考えさせながら練習させるスタイルでした。それがすごく良かったんです。練習量はもちろん多いですけど、そのおかげで考える力がついたと思います」
インタビュー目次
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