青島健太プロフィール
埼玉県の春日部高校から慶応大学へ進学。東芝の実業団チームを経て、1984年のドラフト会議でヤクルト・スワローズに入団。1985 年5月11日の阪神戦(神宮)で、プロ野球史上20人目となる公式戦初打席初本塁打を放った。1989年に引退し、オーストラリアへの留学を経験したあと、スポーツジャーナリストに転向。これまでにNHKの「BSスポーツニュース」やTBS系の「JNNスポーツ&ニュース」のキャスターを務めた。
「野球を始めたきっかけ」
- のっぽくん
- 青島健太さんはプロ野球のヤクルト・スワローズで3年間プレーし、その後はスポーツキャスターとして活躍されています。まずは野球を始めたきっかけを教えてください。
- 青島さん
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「僕が生まれたのは昭和33年なんですが、当時は誰もが野球をやっていましたよね。男の子が何人か集まったら、もう野球しかないという感じで。だから、原っぱでよくやっていたのを覚えています」
- のっぽくん
- 野球チームに入ったのはいつ頃ですか?
- 青島さん
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「僕は埼玉県の草加市で育ったんですが、小学校4年生のときに、少年野球チームに入りました。ユニフォームを着て、ちゃんと競技としてやるのは、4年生からですね。小学校を母体にしたチームです」
- のっぽくん
- それは硬式のボールでやっていたのですか?
- 青島さん
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「いや、軟式ですね。今の時代は半分くらいの子供たちが硬式で始めているのかもしれませんが、僕らの時は硬式なんていう選択はまったくなかったです。その地域は、みんな軟式でした」
- のっぽくん
- 元々うまいから入団したんですか? それとも友達と一緒で入ったという感じですか?
- 青島さん
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「友達と一緒に、みんなで入りました。でもね、もっと早く入りたかったんですよ。今は野球チームとサッカーチームが早い段階から子供を取り合いになって大変みたいですが、僕らの頃は低学年の頃は入れてくれなかったんです。『4年生になるまでダメ』って感じだった。『もうちょっと遊んで、からだが大きくなったら来なさい』と。だから4年生になるのが待ち遠しくて、『よっしゃー、やっと入れる、ユニホームを着て、野球ができる!』って、すごく嬉しかったですね」
インタビュー目次
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