青島健太プロフィール
埼玉県の春日部高校から慶応大学へ進学。東芝の実業団チームを経て、1984年のドラフト会議でヤクルト・スワローズに入団。1985 年5月11日の阪神戦(神宮)で、プロ野球史上20人目となる公式戦初打席初本塁打を放った。1989年に引退し、オーストラリアへの留学を経験したあと、スポーツジャーナリストに転向。これまでにNHKの「BSスポーツニュース」やTBS系の「JNNスポーツ&ニュース」のキャスターを務めた。
「大柄だった子供時代」
- のっぽくん
- 青島さんは身長が182cmありますが、子供の頃から背が高かったんですか?
- 青島さん
「大きかったですね。同級生と比べて、異常に背が高かったですね(笑)」
- のっぽくん
- どれくらいだったんですか?
- 青島さん
「小学校入学時に、140センチ以上ありましたからね。小学校卒業のときには、172センチ。で、中学を卒業するときに180センチになっていて、それから高校で2、3センチ伸びました。わりと早熟だったんですね。小学校時代は頭1つくらい同じ学年の子より大きかったです」
- のっぽくん
- ご両親も背が高かったんですか?
- 青島さん
「父親は172センチです。昭和一桁生まれにしたら、大きいほうじゃないでしょうか。ただ、背が高い家系だったのは母親方ですね。母親は163センチで、昔の女の人からすると大きいですよね。母親のお兄さんたちも、みんな体格がいい。おおむね、なにかしらのスポーツで活躍したような人たちばかりでした。で、何と言っても背が高かったのが、母方の祖父。明治生まれなんですが、180センチもありました。それが隔世遺伝したのかもしれません」
- のっぽくん
- 遺伝もあると思いますが、生活習慣もよい方向に働いたのかもしれませんね。母方のご親戚は、どんなスポーツで活躍された方がいたんですか?
- 青島さん
「おじいさんは郷土史をまとめた本を出しているんですが、その中に『自分は新潟で初めてキャッチボールをした男』と書いているんです。ちょっと、眉唾なんですが(笑)。あと祖父は馬が好きで、馬で学校に通っていたそうです。今じゃあり得ないですよね。あと母親のお兄さんたちは、柔道家が多いです。警察で柔道を教えている師範とか。厳しい人ばかりで、新潟の田舎に帰るときはいつも緊張感がありました(笑)」
インタビュー目次
おすすめインタビューBEST5
-
サッカーワールドカップ日本代表 福西崇史さん
スポーツだったら、姿勢だったり、体幹だったり。何にしても基本が大事。
-
杉山愛さんの母・杉山芙沙子さん
コミュニケーションとは、人の空気を読んだり、観察をしたり、判断したりする力が必要になってきますよね。
-
10代目体操のお兄さん・佐藤弘道さん
遊び心を忘れない大人になって欲しいです。子どもが男の子だから…
-
サッカー日本女子代表・宮間あやさん
日々サッカーを楽しめたらいいなと思ってやっています。
-
天才セッター・中田久美さん
小さい頃にバランスの取れた食生活をすることが、アスリートにとって非常に重要だと思います。