三浦淳宏プロフィール
1974年、埼玉県生まれ。小学校1年生のときに大分県に引っ越し、小3までは野球をやっていたが、先生からの熱心な誘いでサッカー部に入部。中学卒業後は長崎県の名門国見高校に全国高校選手権で2度優勝した。青山学院大学に進学したが、中退してプロの道へ。横浜フリューゲルス、横浜Fマリノス、東京ヴェルディ、ヴィッセル神戸、横浜FCでプレーし、2011年4月に引退を発表した。日本代表では25試合に出場し、FKの名手として活躍した。
己を知ること
- のっぽくん
- 高校は長崎県の名門・国見高校に進学されました。今振り返ると?
- 三浦さん
当時は小嶺忠敏先生(V・ファーレン長崎代表取締役社長)が監督をやられていたんですが、人として教えられたところが大きかったですね。国見はすごく強くて、僕が1年生と2年生のときに高校選手権で優勝。3年のときにベスト4でした。でも小嶺先生から常に驕ってはいけないと言われていました
- のっぽくん
- 全国優勝したらどうしても鼻が高くなってしまいますもんね。
- 三浦さん
先生の座右の銘は、『自信と過信は紙一重』という言葉と『己を知ること』でした。ちょっとでも天狗になったら先生はすぐに気がついて、こう言うんです。『自信を持つことは大事だけども、それが少しでも過信に変わった時点で人間は落ちていくんだぞ』って
- のっぽくん
- それは心に響きますね。
- 三浦さん
人間性の部分では本当に小嶺先生に教わったところが大きかった。高校のときに謙虚さだったり、感謝する気持ちや、相手のことを思いやる気持を教わりました
- のっぽくん
- 高校は寮生活だったそうですが、食事はどう管理していましたか?
- 三浦さん
小嶺先生の奥さんが栄養面を考えて、しっかりと準備してくれていました。ただ僕が苦手だったのがレバー。当時、血液検査をしたら僕は鉄分が足りないと言われました。そうしたら小嶺先生が『鉄分を取れ』と言って、透明の袋に牛の肝臓をそのまま入れて持ってきたんですよ。で、包丁で切って、ごま油をつけて食べて……
- のっぽくん
- それはレバーを嫌いになるかも(笑)。
- 三浦さん
おかげで鉄分を吸収できたと思うんですが、食べるのは大変でしたよ
- のっぽくん
- 練習はどうでしたか?
- 三浦さん
みんなと同じ練習をやっていても、まわりには負けますよね。だから僕は、朝練の前にひとりだけの朝練をしていました。高校2年生の途中から、朝5時に起床して、ひとりで学校に行って約1時間練習する。そのあとに7時15分にみんなが来て、サッカー部としての朝練が始まります。つまり、自分の朝練を1時間、みんなとの朝練を1時間、毎朝、計2時間練習していました
- のっぽくん
- それはすごい。
- 三浦さん
昼休みは寮の弁当を食べるんですが、みんなとは食べずに、ひとりでグラウンドのシャワールームに行って食べていました。食べ終わったあとに、腕立て伏せをして。汗をかいたらシャワーを浴びて、教室に戻る。そんな毎日でした
インタビュー目次
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