オスマン・サンコンプロフィール
1949年生まれ、ギニア出身。ギニア大学およびソルボンヌ大学で学んだ後、ギニア外務省入省。1972年に来日し、駐日ギニア大使館に勤務。その後テレビタレントとしても活躍。タレント活動のかたわら、講演会やボランティア活動など行うほか、ギニア大使館補佐官としても活動している。06年には、サンコン小学校をギニアに設立した。
両親の存在
- のっぽくん
- 家族の中で、父親はどのような役割を果たしているのですか?
- サンコンさん
「父親は本当に怖い人、というイメージですね。やはり“家長”ですから。前回、兄妹ケンカをした際は兄妹内で話し合いが持たれて悪いことをした方が決定する、と話しましたが、その後に登場するのが父親なのです。理由を聞いてきて、それを話しているときはずっと目を見られていました。その目で見られるとウソは言えないのです。ウソをつくとバレてしまいますから。そして、悪いことをした子どもは父親にお尻を叩かれて怒られます。これがまた痛いんです。本当に怖かったですね。 ただ、頭ごなしに怒られることはなかったですね。今、自分も父親になって思い出すと、子どもに対して温かい目を持って怒ってくれていたんだな、と思いますね。」
- のっぽくん
- 対して母親はどのような感じだったのですか?
- サンコンさん
「優しかったですね。ただ、一夫多妻制なので3人の母親がいたのですが、母親それぞれが畑を持っていたので、日中はずっと仕事でしたね。でも、子どもたちは母親が大好きで、好かれるためにお手伝いをしたりしていました。とくに夏休みなどの大きなお休みのときは、よく畑を手伝っていましたね。そして、時間があると話を聞いてもらったりしていました。甘えていたんでしょうね。 日中の畑仕事が終わると、みんなで一緒にご飯を食べるために、食事の準備をしていましたね。なんたって大家族ですから。今思えば、本当に大変なことです。縁の下の力持ちですね。」
- のっぽくん
- では、ご両親は家族の中でどのような存在でしたか?
- サンコンさん
「私や兄弟にとって、本当に大きな偉大な存在でしたね。怒るときは怖かったですが、ともに、良いことをしたらきちんと褒めてくれました。それも少し大げさすぎるほど。そしてなにより、人が話すことをきちんと目を見て聞いてくれていました。これも大きいです。目を見て話すと、心が通じますから。子どもをきちんと1人の人間として対等に扱ってくれていたのだと思います。」
インタビュー目次
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