佐々木主浩プロフィール
1968年2月22日、宮城県仙台市で生まれる。少年野球チームや中学校の野球部で活躍した後、名門・東北高校へ。投手として、甲子園に春夏合わせて3回出場し、2度のベスト8に貢献。東北福祉大学を経て、横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)にドラフト1位で入団。ストッパーとして、時速150キロを超す速球と落差40センチ以上といわれるフォークボールを武器に快刀乱麻の活躍を演じる。4年連続最優秀救援投手賞、シーズン45セーブなど「ハマの大魔神」の異名を轟かせ、横浜ベイスターズを38年ぶりの日本一へ牽引。2000年にはメジャーリーグ、シアトル・マリナーズに移籍。「DAIMAJIN」旋風を巻き起こす。日米通算381セーブの大記録を残して、'05年現役を引退。現在は野球解説を務めながら、野球人として新たな道を邁進している。
スタジアムに「ピッチャー・佐々木」とアナウンスされると、相手チームから「もう終わった」という嘆きが聞こえた──。絶対的なクローザー(救援投手)として、横浜ベイスターズ、シアトル・マリナーズで活躍した佐々木主浩さん。「DAIMAJIN」と日米の打者から畏怖された不世出のストッパーは、かつてメジャーのマウンドに初めて立ったときの感想を「野球少年に戻ったみたい」と語りました。日が暮れるまで、毎日ボールを追いかけ続けた、そんな佐々木さんの少年時代にスポットを当てて、お話を伺ってきました。精神的な重圧がかかる場面を幾度となく乗り越えてきた佐々木さんだけに、その言葉一つ一つが胸にしみ込みます。
- *佐々木さんはどんな野球少年だったのですか?
- 「学校から帰るとランドセルを放り投げて、近所の空き地で、日が暮れるまで野球をしていました。勝ち負けやプレッシャーなどなく、ただ純粋にボールを追いかけていました。」
- *厳しかったお父さんから学んだことはどんなことですか
- 「「卑怯なことはするな。正々堂々とやれ」というのが口癖でした。ケンカもしましたが、武器を持ったり、不意打ちを食らわせたりするなど言語道断だと。1人の人間をいじめたりすることも卑怯なことだと。そんな教えが、マウンドの上でも、力と力で真っ向勝負する僕の流儀につながりました。」
- *一流選手になれた秘訣は?
- 「楽しかったからですよね。とにかく野球が好きで、好きで、突きつめていっただけ。でも、好きなことをやっていけば、自分の世界が足し算ではなく、2倍にも3倍と、かけ算のように広がっていくんです。」
インタビュー目次
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