米田功プロフィール
1977年大阪府出身。7歳から体操をはじめ、中学、高校時代から数々のタイトルを獲得。順天堂大学に進学後、’97年の全日本学生選手権個人総合2位、’98年のNHK杯で個人総合優勝。’99年には全日本学生選手権個人総合優勝、全日本選手権の鉄棒で優勝。2004年のアテネ五輪では日本男子体操団体で金メダル、種目別の鉄棒で銅メダルを獲得。’08年に現役を引退。’12年には米田功体操クラブを設立。’13年徳洲会体操クラブの監督に就任。
体操にのめり込むきっかけとなった、お母さんの存在
- のっぽくん
- 体操をはじめられたのは、どんなきっかけがあったのですか。
- 米田さん
- 「実は最初にスポーツに触れたのは、水泳だったんです。「水泳は喘息に良いらしい」ということもあり、クラブに通うようになったのがはじまりです。ただ、僕は水泳がものすごく嫌いで(笑)。 当時水の中に入るのが、とても怖くて怖くて仕方がなかったんです。そこで、あまりにプールで僕が泣きじゃくっているものだから、母親が困って「うちの子には何が向いているのか」と小学校の担任の先生に相談したようなんです。 すると、先生はクラス全員の休み時間の行動を観察されていたみたいで、僕はよく裏庭の鉄棒の近くで遊んでいることを教えてくれ「彼には体操がいいのでは?」と勧めてくれたんです。 一方、母も僕を連れて病院に行くときに、近所の子どもたちが元気に側転をして遊んでいるのを見かけたことがあって、その2つが大きなきっかけになったようでした。」
- のっぽくん
- 小学校の頃から、名門と言われる体操教室に通われていたとのことですが。
- 米田さん
- 「最初に入った体操教室を1年ちょっとで辞めて、3年生のときにマック体操クラブに入りました。母に聞くと「自分から『レベルの高い練習ができるあのクラブに移りたい』と言った」ということなんですが、よくよく聞いてみると自分の意思でクラブを選択するように母が少しずつ誘導していたらしいです。 大会を見ているときに「やっぱり、マックの子たちは強いわ!」と僕に聞こえるように言ってみたり(笑)。そういう母の言葉に影響を受けていたようで、僕も「打倒、マック!」ということを紙に書いて、机に張っていたりしたんです。」
インタビュー目次
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