このコーナーではすくすくのっぽくんと出会ってから、睡眠・運動・栄養のバランスを常にこころがけ、実際にスクスクと成長されているお子さん100人を少しずつご紹介していきます。
競泳の選手コースに入り、週5回、2時間から2時間半の練習に打ち込んでいました
小学校3年生より、競泳を習い始めました。競泳の選手コースに入り、週5回、2時間から2時間半の練習に打ち込んでいました。
主な戦績 小学校:ジュニアオリンピック50m、100m平泳ぎ出場 中学校:全国中学メドレーリレー決勝9位、東海大会100m平泳ぎ3位 高校:県大会出場 大学:西日本医学生水泳大会 平泳ぎ100m9位、200m5位
努力してきたことが報われる瞬間に立ち会えたことが嬉しかった
競泳と向き合う日々の中で、ジュニアオリンピックの出場標準記録を突破したことや、水泳部のなかった中学においてたった4人の同好会状態から始めて、メドレーリレーで全員1年生で県大会決勝に残り、2年生で全国中学生大会の出場を果たし、3年生ではその全中で決勝に残れたことなど、子供が努力してきたことが報われる瞬間に立ち会えたことがとても嬉しかったです。
スランプとの闘い
順調に努力が報われてきていた競泳でしたが、高校1年生の夏、県大会を二週間後に控えた時期に自動車と接触事故に遭い、その後は練習をしてもなかなかタイムが伸びず、高校2年の夏は大スランプで県大会にも進めない状態に陥りました。顧問の先生もスイミングのコーチも気にかけてなんとか復調するように練習メニューを考えて下さったり、主人も大会の度に撮りだめていたビデオで良いときと悪いときの泳ぎ方の違いを息子と一緒に分析したり、少しでも良い方向に向く手助けになるように二人で試行錯誤していました。私は、なるべく水泳の話はしないようにして、少し水泳から離れてみるのもいいかと提案したりしましたが、息子自身が「やっぱり泳ぐことは好きだから、このままで終わりたくない。どんな結果でも3年の夏までは自分の納得のいくように泳がせてほしい。」と言ったので、応援することにしました。(でも、あぁこれで浪人決定だなぁ…とも思いました。それくらいこの時期は勉強そっちのけでスランプ脱出!が息子のテーマでした(笑))
精神的に自立したんだなぁ、と嬉しいような寂しいような気分に
高校最後の夏は、1年生の頃の調子まで戻した状態で引退を迎えましたが、自分で決めてスイミングスクールではなく学校の部活を主体に練習して、自分の力も客観的に理解していたようなので最後のレースの後は思いの外すっきりした顔をして、チームメイトとは泣いたかもしれませんが、私達親の前では、「終わりました。」とニッと笑ってみせました。結局、どん底のときも親に当たったり不機嫌になったりすることなく、腐らず練習して、自分で乗り越えたようです。もう、練習がキツくて泣いていた子供じゃないんだ、精神的に自立したんだなぁ、と嬉しいような寂しいような気分になりました。